結成30周年を迎えて
1994年2月に結成された在日本朝鮮人人権協会は今年で結成30年を迎えた。
この間、既に鬼籍に入られた崔一洙初代会長、柳光守元会長、趙鏞復元会長、白文鉉元副会長をはじめとする多くの方々が、同胞専門家による同胞のための人権擁護、法律・生活サポートを行う組織の結成とその発展のために心血を注がれた。
結成当初わずか2人だった弁護士会員が今では70人に達しようとしていることをはじめ、有資格者会員は200人を優に超えるに至るなど、会員数も大幅に増えた。
そしてこの間、資格を持つ会員はその持てる専門知識を活かして同胞たちへの無料法律相談活動を各地で展開し、研究者や活動家の会員は会報『人権と生活』においての論考や様々な実践活動を通して多くの問題提起を同胞社会・日本社会に投げかけるなどして、会員それぞれがその力を発揮し、同胞の人権・生活状況の改善に努めてきた。
とりわけ民族教育への露骨な制度的差別をはじめとする同胞への不当な差別や弾圧に対しては多くの取り組みを行ってきた。「高校無償化」制度からの朝鮮学校排除など未だ解決できていない問題も少なくないが、大学入学資格問題やそれに続く形で取り組んだ朝鮮大学校生及びその卒業生の国家資格試験の受験資格問題では、在学中における税理士試験・保育士試験の受験をできるようにするなど、多くの成果を勝ち取った。最近においても幼保無償化制度の代替措置(いわゆる「新支援策」)の朝鮮幼稚園適用やさいたま市による朝鮮幼稚園へのマスク不支給撤回、大阪のMBSラジオにおける朝鮮学校への差別妄言への抗議行動により、同社の謝罪および再発防止措置を勝ち取るなど、会員たちが大きな役割を果たしている。
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人権協会が結成された1994年は日本が子どもの権利条約に批准した年でもある。
昨年にはこの条約の精神に則った「こども基本法」も施行されたが、朝鮮学校をはじめとする外国人学校に通う子どもたちへの差別は未だ無くならず、「高校無償化」排除やそれに連動するように拡がった朝鮮学校に対する自治体の補助金停止措置など、子どもの権利条約に明らかに抵触する差別が今なおまかり通っている。
また、今年の通常国会においては入管法が「改正」され、技能実習制度の改編等に伴い永住者資格を持つ者の増加が見込まれるからという「理由」から、永住資格の取り消し要件が大幅に拡大された。
「わが国に永住する異民族が、いつまでも異民族としてとどまることは、一種の少数民族として将来困難深刻な社会問題となることは明かである。彼我双方の将来における生活と安定のために、これらのひとたち(在日朝鮮人)に対する同化政策が強調されるゆえんである。すなわち大いに帰化してもらうことである。・・・・・ここでも、南北のいずれを問わず彼らの行う在日の子弟に対する民族教育に対する対策が早急に確立されなければならない」
これは、日本と韓国が国交を結んだ1965年に内閣調査室(現在は内閣情報調査室)が発行した『調査月報』7月号の中に記されたものだが、当時、国交樹立にあたって在日朝鮮人に対し永住資格を認めざるを得ない(とはいってもこのときの「協定永住」は韓国の在外国民登録をした者に限るものだったが)と考えた日本政府内の本音を如実に顕している。そしてこの年の年末「朝鮮人として民族性または国民性を涵養することを目的とする朝鮮人学校は、わが国の社会にとって、各種学校の地位を与える積極的意義を有するものとは認められない」とする文部事務次官通達が、都道府県知事らに向けて出された。
外国籍の永住者増加への拒否感、それと表裏の関係を持つ民族教育への否定的対応、この日本政府の姿勢が60年前と大きくは変わっていないことを昨今の状況は雄弁に物語っている。
とりわけこの30年間は、群馬の森の朝鮮人追悼碑撤去や小池都知事による関東大震災時の朝鮮人犠牲者を追悼する式典への追悼文送付拒否、チマチョゴリ切り裂き事件、在特会による朝鮮学校襲撃事件、ウトロ放火事件に象徴されるように、歴史修正主義、また、それに連動した排外主義が官民問わず蔓延る時代でもあった。
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このように人権協会の前には30年前の結成時に勝るとも劣らない課題が山積している。この間の多くの方のご尽力・ご支援への敬意と感謝の思いを胸に刻みながら、これまでの経験を糧にして今後より一層在日朝鮮人の権利擁護と生活支援を軸にした人権活動に邁進したい。