『人権と生活』42号 巻頭言

先達の精神を引き継ぎながら

2015年という年は、12月28日の日本軍「慰安婦」問題に関する「韓日合意」によって幕を閉じた。問題の解決に真摯に取り組んできた当事者や支援者をはじめ、多くの人々を落胆させ、そして憤激させたこの電撃的ともいえる「合意」は、被害者たちを再び冒涜し、真の問題解決をより遠のかせるものであった。これは、自国のリーダーシップのもと、米日韓がタッグを組んで東北アジアの「国際秩序」を守るべきとする米国に背中を押されての「野合」以外の何物でもなかった。朝鮮民族にとって解放70年であった年の瀬になされたこの「野合」は、明くる2016年にも暗雲を投げかけた。

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現在、この日本において、朝鮮と名のつくものなら、まさに何をしても構わないというような状況が、その深刻度を増しながら続いている。

街頭で「朝鮮人首吊レ毒飲メ飛ビ降リロ」「良い韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」と書いたプラカードを持ってヘイトスピーチを喚き散らす者だけを念頭に述べているのではない。

政治家や官僚が、「対北制裁」の名のもと、在特会らのような下品な言葉は使用せず、「上品」にもっともらしい「理由」を織り交ぜながら、率先して在日朝鮮人への人権侵害をしている。

再入国許可取消者の拡大、さらには各地の入管事務所や空港の入管ゲートにおいて、特別永住者の「国籍・地域」欄が「朝鮮」表示の者に対し、「北朝鮮へは渡航しません」という『誓約書』を求めるということまで起こっている。また東京都や大阪府など、一部自治体が停止している朝鮮学校関連の補助金については、他の自治体に対しても支給を見直せといわんばかりの『通知』を文科省が出すということまでもが起こっているのだ。

自らの祖国への往来という、人としての基本的な要求までにも制限を加え、あるいは脅かし、在日同胞の血と汗と涙の結晶と言える朝鮮学校を兵糧攻めにするかのような一連の動きは、「日本で出生した在日朝鮮人の人々のような永住者に関して、出国前に再入国の許可を得る必要性をその法律から除去することを強く要請する」とした自由権規約委員会の勧告(1998年)や、「地方自治体に対して、朝鮮学校への補助金の支給を再開し、または維持するよう促すことを締約国に奨励」するとした人種差別撤廃委員会の勧告(2014年)に、ことごとくその真っ向から反するものであることは言を俟たない。

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こういった状況は、ちょうど半世紀前の1965年当時を彷彿させる。「韓日基本条約」が締結された年だ。

その時もまさに米国に強く背中を押されながら、清算はおろか、植民地支配責任自体をも曖昧にしたままの野合的な妥結がなされたが、その直後、在日朝鮮人への人権を脅かす動きが露骨に展開されることになる。

「朝鮮人としての民族性または国民性を涵養することを目的とする朝鮮人学校は、わが国の社会にとって、各種学校の地位を与える積極的意義を有するものとは認められないので、これを各種学校として認可すべきでない」とした1965年の文部省事務次官通達と、それに続いて数年に亘り国会に上程された朝鮮学校への抑圧装置としての外国人学校法案、また1969年から、これも数年に亘り上程された管理・抑圧機能の強化を図った入管法案(当時は日本に暮らす外国人の9割弱が朝鮮人)。

「歴史は繰り返す」というローマの歴史家の言葉が、否が応でも脳裏に浮かぶ、そんな状況である。

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しかし、私たちは、さらに次のことを想起すべきであろう。

在日朝鮮人の一世・二世が、1965年の文部事務次官通達をはねのけ、多くの都道府県で、朝鮮学校の各種学校認可を勝ち取り、その10年後の1975年には、朝鮮学校のあるすべての都道府県が各種学校認可をするに至ったことを。さらには外国人学校法案も入管法案もはねのけ、廃案に追い込んだことも。そして、そのために支援してくれた多くの良識ある日本人の存在も。

不当な人権侵害には決して屈せず闘い抜いた先達の精神を引き継ぎ、反動化する時代状況に抗していきたい。