『人権と生活』57号 主張

ヘイトのピラミッドを打ち崩す場としての朝鮮学校で

 米国の反ヘイト団体であるAnti-Defamation Leagueが作成した「ヘイトのピラミッド」(46頁参照)は、デマを信じたり受け入れたりするなどの先入観に基づく態度や、いじめや嘲笑などの偏見に基づく行為がピラミッドの下部に位置し、それらが、政治・教育・雇用などにおける差別行為、殺人・放火・脅迫などの暴力行為、特定の集団に対するジェノサイドから成るピラミッドの中間部から上部を下支えしていることを分かりやすく示している。

 このピラミッドに日本における在日朝鮮人の人権状況を当てはめてみると、ネット上に氾濫するデマを信じるコメントなどの先入観に基づく態度、ヘイトスピーチなどの偏見に基づく行為、「高校無償化」制度からの朝鮮学校除外などの差別行為、ウトロ地区への放火事件・朝鮮学校生徒へのヘイトクライムなどの暴力行為に至るまで、在日朝鮮人への「ヘイトのピラミッド」は着々と積み重なっており、100年前の関東大震災時の朝鮮人虐殺というジェノサイドを彷彿とさせる危機的な状況が迫っているといえる。

 在日朝鮮人への「ヘイトのピラミッド」を下支えするのが在日朝鮮人への先入観や偏見だということは、ウトロ地区放火事件の犯人が、「ウトロ地区の住民が土地を不法に占拠している」「在日朝鮮人は日本人よりも優遇されている」などのネット上のデマを鵜呑みにし、在日朝鮮人への差別的な動機に基づいて犯行に至ったことを考えれば容易に納得がいく。

 犯人には在日朝鮮人の知人もいなかったというが、もしも犯人に在日朝鮮人の知人がいれば、ウトロや在日朝鮮人の歴史を正しく学んでいれば、事件は起こらなかったのではないかと思わざるを得ない。事件後、ウトロの住民が放火後の焼け跡を見ながら話したという「もし、火をつけた青年がここへ来ていたらご飯を食べさせてあげたのに。そしたらあんな大それたことせんでも済むやん」との言葉は、まさに事件の本質を突いている。

 在日朝鮮人と出会い、言葉を交わし、知り合っていく。そのプロセスが在日朝鮮人への先入観や偏見を正し、ひいては在日朝鮮人への差別・暴力・ジェノサイドを食い止める防波堤になるのだとしたら、日本各地にある朝鮮学校は、日本で在日朝鮮人と確実に出会い、知り合うことのできる場として、その防波堤の役割を果たしているといえるのではないだろうか。朝鮮学校の子どもたちと触れ合える公開授業、七輪を囲んで焼肉をつつきあう食事交流会、地域の住民が列をなして開門を待つバザーやお祭り……。朝鮮学校は機会あるごとにその門戸を開きながら、誰もが在日朝鮮人と出会える場を提供すべく日々努力を続けている。朝鮮学校を知ることがすなわち在日朝鮮人の歴史と現在を知ることにつながり、在日朝鮮人の歴史と現在を知ることがすなわち、在日朝鮮人への差別や暴力にともに立ち向かう仲間を増やすことにつながるからだ。

 実際、朝鮮学校と出会った人々の多くが、それまで持っていた自らの先入観や偏見に基づく朝鮮観を問い直し、日本政府や自治体による各種支援制度からの朝鮮学校の除外など、現在も続く日本の植民地主義の有り様に憤り、その根絶のために立ち上がっている。学校給食の対象外である朝鮮学校の子どもたちのために給食をつくって提供する。日本政府や自治体からの支援がほぼ皆無であるため厳しい運営を強いられている学校を支えようと、保護者たちが販売するキムチを買って財政を支える。生徒たちの感性豊かな絵画を多くの人々が鑑賞できるよう、各地で展示会を開催する。コロナ禍での学校支援策からも除外された朝鮮学校のために、寄付金を募って渡す。その姿を、そのつながり方を、ぜひ本誌で確認してほしい。そして、もしあなたに在日朝鮮人の知人がいなければ、ぜひ気軽に近くの朝鮮学校とつながってほしい。

 ピラミッドの土台が崩れれば、その上部も自ずと崩れていく。その日を信じて、ヘイトのピラミッドを打ち崩す場としての朝鮮学校で、今日も人々はつながっていく。