月別アーカイブ: 2021年11月

人権と生活53号 目次

‥∵‥∴∴‥∵‥∴人権と生活 53号 (2021年11月19日発売)∴‥∵‥∴∴‥∵‥

◆主張:「除外の政策」を終わらせる力―裁判支援から日常の共有へ

【特集】地域社会と朝鮮学校―朝鮮学校支援の新たな取り組み

◇高校無償化裁判を振り返って―裁判の意義と今後の課題……金舜植

◇外国人学校における学校保健活動の取り組みと課題……呉永鎬

◇誰もがともに生きる埼玉県を目指して……猪瀬浩平

◇地域における朝鮮学校の子どもたちを守り支えるための様々なカタチ ―「幼保無償化」実現にむけた闘いのなかから ……宋恵淑

◇「ととりの会」が目指すもの―愛知における「裁判後」の朝鮮学校支援運動……三浦綾希子

◇九州朝鮮高校無償化裁判、法廷闘争とその後……朴憲浩

■インタビュー

◇筒井由紀子さん/「南北コリアと日本のともだち展」に取り組んだ20年—ともだちになれるんだということを若い人たちが体現

■寄稿

◇一世の想いをつなぐ『三つの応援』 ―「だいろく友の会」の発足……伊藤光隆

◇朝鮮学校の生徒との合同文芸文集『銀河(天の川)』を発行して……佐藤天啓

◇駒澤大学における在日朝鮮人の名前使用問題について……金誠明

■連載

差別とヘイトのない社会をめざして(12) フェミサイド・ウオッチとは何か …… 前田朗

■会員エッセイ

◇イオのこれから―1996~2021、通巻300号を迎えて……張慧純

■会員の事務所訪問

◇安西社会保険労務士事務所  朴相起さん/ コロナ禍で「働き方」に転換が求められる中、高まる社労士の役割を果たしていきたい

■書籍紹介―人権協会事務所の本棚から

■ニュースTOPICS 

■人権協会活動ファイル

■資料

◇在日同胞・在日外国人 人口統計

◇在日同胞帰化許可者数統計

53号 巻頭言

「除外の政策」を終わらせる力―裁判支援から日常の共有へ

2021年7月27日。最高裁は、日本政府による「高校無償化」(以下、「無償化」)制度からの朝鮮高校除外問題に関する広島朝鮮学園と同学園の元生徒たちの上告を棄却し、上告審として受理しない決定を行った。これによって、13年1月に大阪、愛知から始まって全国五ヶ所で繰り広げられた朝鮮学校及び同校生徒・卒業生らによる「無償化」裁判はすべて終了した。

ここで改めて、生徒たちがなぜ「無償化」裁判の原告として立ち上がったかについて考えてみたい。

「これはお金の問題ではありません。民族の尊厳の問題です。私たちを人として見てください」

14年12月、「無償化」裁判の原告の一人でもあった朝鮮高校卒業生が、面前に立ちはだかる文部科学省のビルを見上げながら叫んだ言葉だ。

原告ごとに裁判に込めた想いは当然異なろうが、「無償化」裁判に関する報告集会等の場で、多くの朝鮮高校生や卒業生が同様の発言をしていたのを耳にされた方も多いだろう。そう考えると、朝鮮学校に通う朝鮮人であるというそれだけの理由で差別を受ける、その不条理な現実に反対の声を上げ、在日朝鮮人としての尊厳を守るのだという強い決意が、生徒たちが立ち上がった理由の一つに挙げられるのではないだろうか。

また、多くの生徒・卒業生は口を揃えて「自分と同じような思いを後輩たちにはさせたくない」と述べていた。自らがたたかうことで差別をなくし、差別を受ける苦しさ、つらさ、やるせなさを後輩たちには味わわせたくないという想い。そこには、日本の植民地支配からの解放直後から、先代が日本政府の弾圧にも屈さず文字通り「死守」してきた朝鮮学校という歴史的な存在を、後代のため、自分たちが継いで守らなければならないという固い信念が表れていたように思う。

このように、朝鮮高校生たち自らが主体となって立ち上がり、差別の是正と尊厳の回復、民族教育の固守を求めて日本の司法に訴えたという事実自体が、在日朝鮮人史上初の出来事として歴史に刻まれるものであり、「無償化」裁判の最も大きな意義の一つに挙げられるだろう。

そして、このような原告たちの声は、文部科学省の冷たく硬い外壁にはね返されるだけのものではなかった。その声に対して共感し、支持し、応答する人々が全国各地で共に声を上げ、原告や朝鮮学校の力になろうと無数の努力が傾けられてきた。

裁判の弁護団や支援団体の結成と拡大、原告・保護者・弁護団・学校関係者・支援団体間の連携と協力、その数々の道のりはどれひとつ取っても決して平坦ではなかっただろう。しかし、原告たちと気持ちを共にし、差別を許さず正義を求める、その一点において多くの人々の心が一つになり、その連帯の波はやがて北南朝鮮、海外へも波及した。そこに民族や国籍、性別、年齢等の垣根はなく、八年半の長きにわたった裁判が常に熱を帯びてたたかわれたのは、このように幅広く多様な連帯があったがゆえだったといえる。

そして裁判が終わった今、その熱は冷めることなく、朝鮮学校支援のための新たな努力が各地で様々に続けられている。コロナ禍での募金活動、出張授業の実施、「無償化」適用や補助金支給を求める行政交渉、朝鮮学校の歴史を学ぶセミナーや焼肉交流会の開催、掃除や備品整理等の美化活動、生徒たちの文集発行、保健室運営の支援、反ヘイト条例制定に向けた学習会の開催、財政支援のためのキムチ販売……その形がいかに多様でアイデアに溢れたものであるかについては、本号を読み進めるごとに実感いただけるはずだ。

言うまでもないが、裁判が終わったからといって日本政府の差別がなくなったわけでも、正当化されたわけでもない。今も変わらず朝鮮高校生たちは「無償化」制度から除外されており、幼保無償化制度からの朝鮮幼稚園の除外やコロナ禍での朝鮮学校差別など、日本政府は差別を是正するどころか、今も新たな差別を次々と生み出している。この朝鮮学校を標的にした「除外の政策」を終わらせるために必要不可欠なもの―それは共に差別に反対し、朝鮮学校を守り続けていく仲間たちの存在であるだろう。 疑いに満ちた眼差しでしか朝鮮学校を見られない、植民地主義的思考にとらわれた日本の司法が決めた「敗北」を嘆くよりも、笑顔や涙あふれる日常を共有し、共に抵抗することができる確かな繋がりを得られた「勝利」を歓びたい。差別に抗する人々の歴史は、今日もあちこちで紡がれていく。