収容と送還の暴力に反対し、反レイシズム法制を求める声を
「私は刑務所を知らないが、話によると刑務所とまったく同じである。いやそれより悪い。[……]何としてもいまだに納得いかないのは、収容所の係官の態度の横柄さである。刑事犯罪人でもこのようなひどい言動や態度でとりあつかわれまいというほど野卑で乱暴だ。[……]『オイ金』『コラ朴』『ホレ李』と若い担当の声が響く。収容所はまがいもなく日本政府の朝鮮人蔑視の露呈であることを、骨身にしみて味わった」
かつて「監獄以上の監獄」と呼ばれ、解放直後に日本から朝鮮に渡った後に生活困難や朝鮮戦争の影響等で再び日本に入国した朝鮮人などを「不法入国者」扱いし、強制送還するまでの場所として使用された長崎の大村収容所に収容されたある朝鮮人の証言だ(『在日朝鮮人の基本的人権』在日朝鮮人の人権を守る会、1977年、74頁より再引用)。
同収容所には、日本への再入国者のみならず、植民地期から日本に居住し、外国人登録証の常時携帯・呈示義務をはじめとする外国人登録令の諸手続に違反したとされた者も多数収容され、1950年代だけでも約1万5千人の朝鮮人が強制送還された(同上、60頁)。1952年以降は韓国政府が送還者の受け入れを拒否したため、多くの同胞が食事や医療も劣悪な、鉄条網と高いコンクリート塀で二重に取り囲まれた鉄格子の付いた部屋で長期収容された。同胞らはたびたび即時釈放と待遇改善を要求したが、収容所当局は武装警官を導入し、「殺せ」の合言葉で一斉に被収容者に対する暴虐の限りを尽くし、数多くの朝鮮人を殺傷した(同上、62頁)。
こうした悪辣な朝鮮人強制送還の法的根拠となった出入国管理令は、日本の朝鮮植民地支配によって日本で生活せざるを得なくなった朝鮮人の在留権を日本政府当局が無視・侵害し、その一斉追放をも可能とする、卑劣なレイシズムに基づく朝鮮人強制追放政策の基盤として機能したといえる。
そして2025年の現在、同令をその根源とする出入国管理及び難民認定法の度重なる改悪を背景に、日本の入管当局は「国民の安全・安心のため」という排他的なナショナリズムに満ちた名目を掲げ「不法滞在者ゼロプラン」なる政策を5月に公表し、実際に同月以降4ヶ月間で出国命令を含む計6,000人以上の外国人を強制送還した(出入国在留管理庁「「国民の安全・安心のための不法滞在者ゼロプラン」実施状況」2025年10月)。
この中には、2023年の同法改悪を受けて難民認定申請中にもかかわらず送還停止効の例外が適用されて送還された者も含まれているところ、国際的な人権基準に沿えば当然にその在留権が保障されるべき人々も少なくないと考えられる。つまり、人権の国際基準に照らして在留権を保障すべき人々の権利を踏みにじりながら、その存在を日本の国境外へと強制追放することで自国のレイシズムないしナショナリズムを恥ずかしげもなく発露・強化・拡大させているのが現在の日本の入管法制の姿であり、そのやり口はかつての在日朝鮮人強制追放政策と地続きのものであるといえよう。
そして、こうした公権力が主導するレイシズムと排外主義に基づく入管法制が70年以上にわたって維持されてきた結果、私たちは今日「日本人ファースト」なるレイシズムを扇動するスローガンがかくもたやすく市井に膾炙(かいしゃ)する惨憺たる日常を生きている。
しかし、そのような状況であればこそ、私たちは孤立せず、繋がり、暗い時代をどうにか生き延びていきたい。歴史的背景は違えど、故国に戻りたくても戻れず、他に行くあてもなく、愛する家族や友人との離別の恐怖と不安で明日すら展望できない難民や非正規滞在の人々が置かれている状況は、在日朝鮮人が置かれてきた/いる状況とあまりに重なる。
日本の入管法制が在日朝鮮人に対するレイシズムを起源としながらその排除と管理の対象を肥大化させているのであれば、あらゆる辛苦を経験し、未だ在留権を完全に保障されていない在日朝鮮人こそが当局に否の声を突きつけ、反レイシズムの法制度を求めていかなければならない。それこそが、日本の継続する植民地主義・排外主義からの在日朝鮮人の真の解放に繋がるのではないだろうか。
そして私たちにはすでに数々の貴重な運動成果―—収容所当局による非人道的な処遇と強制送還に反対して断食闘争を繰り広げ、収容所の実態を外部に訴える文書の発送と収容所内での行動の自由を勝ち取った経験、朝鮮民主主義人民共和国への帰国を希望しついに実現した経験、入管当局による退去強制令書発付処分の取消しや無効確認を求める在留権訴訟を提起し数々の勝訴を実現した経験など――がある。こうした得難い成果は、現在に続く日本の醜悪なレイシズムを総体として掘り崩していく糸口ともなるはずだ。先代の闘いに学び、隣人と手を携えながら、絶望だけではない未来に向けてともに歩んでいきたい。