だれもが自分自身を解放できる同胞社会づくりを目指して
朝鮮半島をめぐる冷戦の終結に向け、歴史的な平和への胎動が起きている。
4月27日、全世界が注目する中、祖国分断の象徴である板門店で北南首脳会談が開催された。両国の首脳が手を取り合い、ともに軍事境界線を乗り越える姿は、軍事的対立、民族の反目、そして家族の離散を経験してきたすべての朝鮮同胞に深い感動を与えた。在日同胞高齢者のための通所介護事業所「いこいのマダン」(愛知県名古屋市)では、1世のハルモニ、ハラボジらがテレビ中継を見守り、両首脳が握手をした瞬間、「今日まで生きてきて本当によかった」と涙を流したという。板門店宣言にあるように、「途切れた民族の血脈を結び、共同繁栄と自主統一の未来を早めていく」ことは、「これ以上先送りできない時代の切迫した要求である」。1世らの思いを私たちはしっかりと受け止め、民族の悲願である統一を現実のものにしていかなければならないだろう。
朝鮮半島のダイナミックな動きに追随するかのように、「拉致問題」の解決を御旗に「制裁」強化を声高に叫び続けてきた日本政府も、ようやく「対話」を口にするようになった。しかし、日本政府が真に「対話」を望むならば、その前に正すべきことがあるだろう。同じ4月27日、「制裁」一辺倒の国の意向を汲むかのように、朝鮮高校「無償化」裁判で名古屋地裁は「請求棄却」という不当判決を出した。広島、東京に続き、子どもたちの朝鮮学校で学ぶ民族教育の権利を踏みにじった。同胞高齢者や障がい者の無年金問題も然り、一切の救済措置もなく年金制度から除外されたままである。本来であれば、率先して差別を解消すべき国が自ら制度的に差別を作り出している。そしてこのような土壌で、民族差別、蔑視、誹謗中傷はますます拡散し続けている。
過去の侵略と植民地支配への無反省、日本政府が「対話」を実りあるものにしたいならば、ただちにこのような態度をあらため、国を挙げての在日朝鮮人への人権侵害をやめるべきである。
私たち在日朝鮮人は、植民地支配期から現在にいたるまで引き続くこの植民地主義に抗い、日本当局の露骨な差別と抑圧をはねのけ、自らの権利を守るため、老若男女を問わず一丸となって団結してきた。それは民族の尊厳と生存権を賭けた闘いであったし、先述した未解決の権利獲得のため、これからも代を継いで運動を続けなければならない。
それと同時に、私たちはこれまでの闘いの中で見落としてきた、あるいは置き去りにしてきた問題にも取り組む必要があるだろう。すなわち、在日朝鮮人の権利獲得という大きな課題のもとで看過されがちであった、高齢者、病や障がいのある人、子どもや女性、セクシャルマイノリティなど、同胞社会の中でもとりわけ弱い立場にある人たちへの差別である。かのじょ・かれらは、在日朝鮮人という集団に対する民族差別に加えて、その集団である同胞社会の内外においても、それぞれの差別に遭遇している。そのため、例えば、障がいがあるかどうか、男性であるか女性であるかによって、同じ同胞社会の構成員であっても複合的な差別を経験し、より大きな不利益を受けている。私たちはそのような事実を直視し、かのじょ・かれらが直面する問題を運動に反映させてきただろうか? 在日朝鮮人をとりまく状況が過酷だからといって、私たちが帰属する同胞社会内部の抑圧的な構造や差別には鈍感ではなかっただろうか?
私たちの運動は、在日朝鮮人の権利を守る運動であり、同胞一人ひとりの尊厳と人権を守る闘いである。これまで抑圧の対象であった私たちが、決して抑圧や差別に加担する側に立ってはいけない。世代交代が進み、同胞社会の構成員も多様化する中、私たちはだれもが安全で、安心して、自由に自分自身を解放できる同胞社会づくりを目指さなければならない。