48号 巻頭言

3・1独立運動から100年 民族の自主、そして人としての尊厳と権利を守るために

 昨年のはじめから起こった東北アジアの緊張緩和の動きは、朝米首脳による2月のハノイ会談で明らかな成果が見いだされなかったことにより、現在、大きな試練に立たされているようである。まず丸裸になれ、ならば褒美をあげようという米国の主張を、朝鮮民主主義人民共和国が受け入れ難いことは至極当然である。かねてより自らの「裏庭」としてきた中南米に位置するベネズエラには政権転覆のために軍事介入も辞さないとまで公言し、イランとの核を巡る多国間合意をいとも簡単に反故にする同国政府の何を信じることができようか。しかし、そのことをまともに論じる姿を日本の大手メディアにみることはほとんどない。

 共和国の短距離ミサイル発射実験を書き立てても、それを前後して放たれた米国の大陸間弾道ミサイル(5月1日・9日に発射実験)に関しては一切取りあげないことに象徴されるマスコミ報道の偏向性は今日に始まったことではないが、元徴用工の損害賠償請求事件に関する韓国の大法院判決に対するメディアの取り上げ方は、それが「対北」だけにとどまらないことをまざまざと見せつけている。そこには欧米を仰ぎ見、アジアを見下す「脱亜入欧」的価値観をはじめ、明治維新以降の帝国主義、植民地主義というものが未だ精算されていないという問題が横たわっている。

 米英などに対し戦争を起こした責任は問われる一方、裁く側が同様に脛に傷を持つことから植民地支配責任については不問にされた東京裁判。経済発展に焦る朴正熙政権と米韓日の軍事同盟強化を目論む米国の思惑も相まって、過去の清算があいまいにされた韓日間の国交正常化。これらは日本社会の根底に植民地主義を温存させることに大きく貢献した。そればかりではない。韓日国交正常化交渉の一環として進められた法的地位交渉では、朝鮮学校弾圧を促す議論までされてしまうあり様であった。日本政府の同化政策=植民地主義と、朴正熙政権の反共政策=冷戦の論理が共鳴してしまったからだ。

 戦争ができる「普通の国」にしようとする為政者らが、過去の戦争の美化を図り、過去の清算を求める声に対しては敵対感情むき出しの言動を繰り返す。そうした在り方に対する抑制機能を果たせず、ともすればさらに扇動するかのような大手メディア。そのような今日の日本の状況に対し、ここ数年間、朝鮮半島では確実な変化が起こってきた。

 故金福童さんはじめ日本軍性奴隷制サバイバーのハルモニらが朝鮮学校の子どもたちに心を寄せ支援し、「民主社会のための弁護士会」が「高校無償化」裁判での不当判決を批判する声明を出し、ジュネーブで行われた子どもの権利委員会日本審査に「ウリハッキョと子どもたちを守る市民の会」の代表らが参加するなど、「高校無償化」制度からの排除などの不当な差別に対する当事者らの闘いへの南における連帯の動きも日増しに高くなっている。冷戦の論理を乗り越え、分断を克服する力が長年の闘争の中で育まれ、日本に植民地主義の転換を迫っているのである。

 朝鮮から日本に来ていた留学生らによる東京での1919年2・8独立宣言は、朝鮮半島における3・1独立運動の導火線となり、3・1独立運動は、中国で起こった抗日、反帝国主義のための5・4運動にも影響を与えたという。

 それから100年の歳月を経た今、朝鮮半島では分断の克服を求める力はより大きくなり、それは解放後も続く日本の同化政策に抗し続け、朝鮮民族としての尊厳を守ってきた私たちとより多くの共鳴、共感を生んでいる。

 民族の自主、そして人としての尊厳と権利を守るため、民族の大同団結をさらに強固なものにし、日本の、また世界の心ある人々とも手を取り合って、植民地主義や不当な差別に抗していきたい。