高賛侑『異郷暮らし−在日する韓国・朝鮮人の肖像』
2003年、毎日新聞社 

 

1999年3月13日】

華僑の誇り−神戸中華同文学校創立100周年

 兵庫県に住む1万2000人華僑の誇りである神戸中華同文学校が、5月に創立100周年を迎える。
 清朝末期の1898年、日本に亡命した「改良派」の志士梁啓超が「子どもたちに教育を!」と訴えたとき、異国暮らしの辛酸を耐えていた華僑たちは涙を流して奮い立ち、翌99年に「神戸華僑同文学校」を設立した。
 以来、厳しい民族差別や戦災などの試練を乗り越えながら「有銭出銭、有力出力」の精神で学校を守り、1939年に「神戸中華同文学校」と改称、59年に現校舎を建立した。
 「卒業生は5000人を超えます。子どもたちには、将来中国と日本の友好促進に貢献する人間になってほしい」と語る文啓東校長の言葉を待つまでもなく、神戸在住華僑の活躍ぶりをみれば、同校が育んできた民族教育の成果がどれほど大きいか想像して余りある。
 現在、児童生徒数は小学部438人、中学部206人で計644人。カリキュラムをみると、基本的には日本人学校と同じであり、ほかに民族科目として中国語や中国歴史・地理の授業が行われる。特に語学教育には力を入れており、小学3年生ともなれば、中国語だけで授業が進められる光景には新鮮なカルチャーショックをおぼえる。またクラブ活動で伝統的な楽器や舞踊を習う子どもたちの生き生きとした表情!
 とはいえ学校運営を支える人々の労苦は決して少なくない。なぜなら日本に存在する外国人学校はすべて各種学校の地位しか与えられておらず、文部省の行政指導による様々な差別を受けているからである。
 最大の悩みは財政難。文校長は「県からの教育助成金が昨年から一人当たり5万円に増額されたのは大変うれしいことです」というが、私立学校の一人当たり20余万円に比べれば5分の1にすぎない。そのため広く華僑社会から寄付を募ってやりくりしているのだが、その寄付は免税対象にならないため、華僑たちの負担はあまりにも大きい。
 また同校卒業生が高校に進学する際、兵庫県や大阪府では問題ないが、他府県の場合は入学試験自体を受けられないことがある。義務教育修了者として認められないからである。
余談だが、同校の保護者が諸般の事情で帰化申請をすると、法務局側から子どもを日本人学校に転校させるよう求められると聞いて唖然とした。同校に子どもを送る者は、日本人に同化する意志が薄弱とみなすというわけである。
日本の対在日外国人政策において、あらゆる形で民族的アイデンティティを否定しようとするのは、国際社会の常識にもとる発想といわざるをえない。
 同校では今年1年間、ほぼ毎月文化公演などの一連の記念行事が催される。まずは同じ社会に住む外国人の子どもの実態に触れてみるため、ぜひ一度参加してみてはいかが。

 

1999年5月29日】 

神戸朝鮮高級学校−21世紀への挑戦者たち−

  グランドにはじける若さ。運動部生徒らの肉体が躍り、掛け声が飛び交う。片隅で楽器の練習に励むのはチマ・チョゴリ姿の女生徒たち。カメラを向けた途端、キャッキャッと笑った。
 兵庫県にある19の外国人学校・国際学校のうち、朝鮮学校が13校を占める。神戸朝鮮高級学校は垂水区の高台に建つ。
 「わが校は今年創立50周年を迎えます」と李鐘九校長。「それを記念して、校舎と体育館の改築運動を推進中です。民族教育に基本を置きつつ、21世紀に向けて、個性的で多彩な人材を育てていきたい」とビジョンを語るのだが・・・。
 阪神大震災時の光景が鮮明に甦る。発生直後、朝鮮学校はただちに校舎を周辺住民の避難所として開放した。全国の同胞から救援物資が届くと、国籍に関係なく分配し、暖かい食事の炊き出しを行った。「国境を越えた助け合い」は住民に大きな感動を与えた。
 県内朝鮮学校の被害総額は20億円にのぼった。呆然とたたずむ人々の耳に届いたのは、「外国人学校には再建の支援金を出さない」という日本政府の非情な方針だった。が、兵庫県民から強い批判が起こった。「復興事業で外国人を差別するな!」。その声は政府をして、「私学並みに支援金を拠出する」と方針を変更させた。
 とはいえ神戸朝高に支給された額は被害の3分の1。そのため全面改築に踏み切ることができまま、現在にいたったのである。
 予算総額は2億5000万円。教育助成金が私学の10分の1であるため、平素でも同胞社会の財政負担は深刻なのに、さらに多額の寄付を寄せ合わなければならない。しかも朝鮮学校に対する寄付は、免税の対象外とされる。県、市にも支援を要請してはいるが、見通しは暗いという。
 朝高をめぐるもう一つの問題は、文部省の強い方針のもとで、国立大学および半数近い公・私立大学が受験を認めていないことである。そのため生徒らは、朝高在学中に通信制高校にも籍を置き、その資格をもって大検を受けたのち、ようやく志望校の受験をするという遠回りを強いられる。
 7年前、神戸朝高を卒業した金海永君を思い出す。彼は京大に合格したのち、「後輩に同じ思いをさせまい」という一心で国立大の門戸開放を求める運動を起こした。以後、日本国内のみならず、国連人権委員会においても文部省は厳しい批判にさらされている。
 近年、受験を認める公・私立大が急増しているのは注目される。兵庫県では来年以降、県内の全公立大が門戸を開くと決定された。今年、大阪と東京の朝高卒業生が東大に合格したのをはじめ、次々と国立大合格者があらわれている。二重三重のハンディを乗り越えていくチャレンジャーたちに心から拍手を送りたい。
 震災時に実証されたように、世論は政府の方針をも覆すことができる。子どもたちのために、ぜひ皆さんの清き一声を!

 

1999年10月28日】

兵庫県外国人学校協議会−「国境や民族の違いを超えて」子どもら中心に広がる交流−

兵庫県内の外国人学校を紹介してきた締めくくりとして、兵庫県外国人学校協議会について報告したい。
 1995年1月17日、阪神・淡路一帯に未曾有の惨禍をもたらした大震災は、県内にある19の外国人学校(うち朝鮮学校13校)にも甚大な被害を与えた。
 5月に外国人県民復興会議が開かれたとき、各校代表たちは初めて席を共にした。それを契機に、深刻な事態を協力して乗り越えていこうと話し合うなかで、7月26日に全国で唯一の外国人学校協議会が結成されたのである。
 9月8日、各校代表が県庁を表敬訪問した日の光景がいまも鮮明に甦る。代表たちが学校復興の支援を要請したとき、貝原知事は「外国人学校は兵庫県や神戸市にとって財産です」と明言し、「県を外国人に開かれた地域として復興させるために、できるだけの努力をしたい」と約束した。
 知事の発言の背景には、外国人学校が震災発生直後から校舎を避難所として開放し、救援物資を国籍に関係なく分配した事実があった。校庭でふるまわれた炊出しの食糧が、寒風に震える被災民の心身をどれほど熱くしたことか。そして県民のなかから「復興事業で外国人を差別するまい」という世論が急速に高まったのだった。
 表敬訪問以後、外国人学校に対する施策の変化には注目すべきものがある。教育振興補助金は、翌96年に児童生徒一人当たり2万4000円だったのが、年々増額されていき、99年には6万5000円になった(それでも私立学校の5分の1だが)。
 また県議会が大学受験差別制度の是正を求める意見書を文部省に提出しただけでなく、2000年から県内のすべての公立大学が外国人学校出身者の受験を認める方針を決定した。
 協議会は県・市の協力のもと、積極的な活動を推し進めた。96年5月に第1回外国人学校交流会を開催したのをはじめ、神戸っ子・国際フットサル大会、国際キャンポリーなどにも参加し、日本人学校との交流も深めていった。また98年8月には国連人権委員会に代表4人を派遣し、日本政府による不当な差別の実態をアピールして大きな反響を呼んだ。
 協議会の結成は、民族教育史に残る画期的な出来事といっても過言ではない。しかし国政レベルの差別制度が厳然と存在する以上、地方での取り組みに限界があるのはいうまでもない。
 私が各校を取材して最も感嘆したのは、いじめや学級崩壊といった現象が皆無だったことである。差別どころか、むしろ日本人学校の方が外国人学校における独自の教育システムから多くを学ぶべきだろう。
 11月27日には、第3回外国人学校交流会が催される。子どもたちが国境や民族の違いを超えて共にスポーツに興じる姿を、多くの方々がご覧になることをお勧めしたい。

参考:URL http://sAngbong-net.hp.infoseek.co.jp
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