<歴史編> | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
A:日本全国には73校(初中などの併設校も一校とみなした数字です)の{初(小)、中、高}の朝鮮学校と4校の韓国学園があります。韓国学園のうち京都の韓国学園、大阪の建国学校、金剛学院は「一条校」となっています。東京の韓国学園は朝鮮学校と同様、「各種学校」となっています。ちなみにこの東京韓国学園は韓国からの一時滞在者が多数を占め、植民地支配に渡日した者の子孫にあたる子どもたちは全体の10%程度ということです。
A:朝鮮学校のカリキュラムは、民族的主体性を保ちながらも、在日朝鮮人を取りまく環境と現実(日本の教育実情と世界的教育の流れ)を十分に考慮し、さらに時代の発展と社会環境の変化に合わせ教育内容を幾度も改編したものであり、在日朝鮮人の日本での生活に必要な知識と能力を育てるものとなっているのが特色です。 したがってカリキュラムは、当然日本の普通教育を行う正規学校と類似したものとなります。各教育段階における系列科目の授業数はほぼ同じで、日本の小、中学校の授業時数の標準、各教科・科目の標準単位数を十分に参考にして編成されています。したがって「朝鮮語」はもちろんのこと「日本語」科目でも、初、中、高の全学年において日本語による作文技能と表現力を高めるように編成されています。 初級部から高級部に至る教育の水準は高く、体系的に民族教育を受けた生徒は日本の大学にも多数入学しています。そして卒業生は社会の各分野で活躍、また地域社会に大きく貢献しています。 朝鮮学校と日本学校初(小)中級部時間配当の比較(%)
注 @〔±〕は日本学校に比べた朝鮮学校の数値 Aその他は朝鮮学校:土曜日(4時間、26週)に行う特別活動、課外学習など 日本学校:道徳、特別活動、選択教科、総合的な学習 B初中級部の総授業時間数は朝鮮学校(9812時数)が完全宗5日制の日本学校(8307時数)より1505時数多い ※「朝鮮総聯」在日朝鮮人歴史研究所編、在日朝鮮人総連合会中央常任委員会発行(2005年)より
(参考までに:以前の資料) 朝鮮学校と日本学校初中級部時間配当の比較(%)
※±は朝鮮学校を基準とした。 A:日本が朝鮮を植民地にしていた時代、朝鮮人は「日本人になること」を強要されていました。したがって朝鮮語教育をはじめ民族教育は禁止されていたのです。1945年8月15日、解放を迎えた在日朝鮮人たちは、まず自分たちの子どもに母国語を教えるために各地で朝鮮語講習所を開きました。そしてより組織的かつ体系的な民族教育事業へと発展し、朝鮮学校がつくられました。解放から2年たった1947年には初等教育541校(生徒数5万8千人)、中等学校7校(生徒数約2千8百人)が開設されました。 A:当初、日本政府はこのような朝鮮学校設立に関する動きに対して、黙認する態度をとっていました。日本政府は阪神教育闘争のひきがねとなった「朝鮮人学校閉鎖令」をはじめ、1965年韓日条約時の二つの文部事務次官通達、外国人学校法案成立に向けての動きなど、一貫して民族学校に対し、弾圧を加えてきました。そして現在でも民族学校に様々な差別がなされているのです。 A:1948年1月24日、GHQ(連合軍総司令部)の指示のもとに文部省は「朝鮮人子弟であっても学齢に該当する者は日本人同様、市町村立又は私立の小学校又は中学校に就学させなければならない」という内容の通達(学校教育局長通達「朝鮮学校設立の取り扱いについて」)を出しました。この通達は在日朝鮮人に対し、民族学校で学ぶことを禁止して、日本人学校への入学を強制しようとしたもので、1948年3月31日山口県と兵庫県で、その後岡山県、大阪府、東京都などでもこれに基づき「朝鮮人学校閉鎖令」が出されました。これに対し在日朝鮮人は「学校を死守しよう!」のスロ−ガンのもと朝鮮人教育対策委員会を組織し、次の4項目の要求を掲げました。 ・教育用語は朝鮮語とする。 ・教科書は朝鮮人教材編纂委員会が編纂したものを使用する。 ・学校の経営管理は、学校単位に組織された学校管理委員会がおこなう。 ・日本語は正課として教える。 GHQと日本政府は、この正当な要求を掲げ、学校を守るために立ち上がった在日朝鮮人に弾圧を加えました。 阪神地区では、4月24日と25日に神戸憲兵隊司令部の名によって「非常事態宣言」までも発令されました。日本戦後史のなかで最初にして最後の戒厳令がしかれたのです。そして4月26日には警官隊が大阪府庁前に集まった2万余名の朝鮮人を武力で弾圧、この時金太一少年(16歳)が射殺されました。阪神地区だけで数百人が重軽傷を負ったということです。また1000人を越える朝鮮人が、そして彼らを支援した日本人が逮捕されました。 しかし朝鮮人の果敢な闘争のまえに日本当局は同年5月5日朝鮮人教育対策委員会との間で4項目の要求を認める覚書を交換せざるを得なくなりました。 民族教育は大きな打撃を受けましたが、ぎりぎりのところで死守されたのです。阪神地区で繰り広げられたこれら一連の反対運動、抵抗運動を阪神教育闘争といいます。 A:1948年の「学校閉鎖令」につづき、日本政府は1949年、在日朝鮮人連盟(朝連)に強制解散を命じ、幹部は公職追放、財産はすべて没収という暴挙にでます。そして再び朝鮮人学校の閉鎖命令が出されました。 こうして民族学校は、一部の守られた学校以外はすべて全面閉鎖もしくは日本の学校の分校、民族学級といった形を余儀なくされました。 その後の朝鮮戦争期という激しい条件下においても、民族教育は守り抜かれました。そして1955年に結成された在日本朝鮮人総聯合会(朝鮮総連)に結集した在日朝鮮人の手によって、また1957年により朝鮮民主主義人民共和国から送られてきた莫大な教育援助費により、民族教育事業は再編成され、ふたたび各地に朝鮮学校が建てられていきます。 こうして現在に至るのです。 A:1965年の韓日条約を契機にふたつの文部事務次官通達が出されました。通達は 「法的地位協定における教育関係事項の実施について」、 「朝鮮人のみを収容する施設の取り扱いについて」、というものです。 その内容は、日本人学校就学を積極的に奨励し、「日本人子弟と同様に取り扱うものとし、教育課程の編成実施について特別の取り扱いをすべきではない」(民族学級の否定を意味する。<通達@>)民族学校に対してはこれを「我が国の社会にとって各種学校の地位を与える積極的意義を有するものとは認められないのでこれを各種学校として認可すべきではない」(民族学校の社会的抹殺を意味する。<通達A>)という二面策で政府当局の本質的な狙いはすべての朝鮮人子女に同化教育を強制し、その日本人化をはかることにあったといえます。 A:外国人学校法案とは外国人学校に対する設置許可権とともに学校の管理運営、教員の任命、学校閉鎖の権限を文部大臣(当時)に集中し、さらに報告義務を課す権限と立ち入り検査する権限を新たにつくりあげ、この権限も文部大臣(当時)に与えるといったものでした。まさに取り締まりの強化をはかったものでした。文部事務次官通達の後に、この法案が1960年代後半以降に数回に渡り国会に上程されました。しかし在日朝鮮人や良識ある日本人の強い反対によってことごとく廃案となりました。朝鮮学校を各種学校としてさえも認可することに積極的意義を見いださないとする文部省に、生殺与奪権を与えるようなことは到底認めることが出来なかったのです。 |
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<民族教育の権利の法的保障編> ●各条約において関連する条文 |
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A:日本国憲法26条は「すべての国民」は教育を受ける権利を有すると定めていることから「教育を受ける権利」は日本人にしか保障されないのではないか、ということが問題になります。しかし、「国民は納税の義務を負う」(憲法第30条)と定められているにも関わらず、在日朝鮮人も納税の義務を負わされていることに照らせば、「国民」と書いてあるか否かによって一概に権利義務が左右されるものではありません。そして日本国憲法前文に規定されている国際協調主義の立場からも、民族教育は当然に法的権利として認められるべきです。 A:1995年の12月に日本が批准した「人種(民族)差別撤廃条約」の第2条2項では「当事国は、状況の求めるところに従い、特定の人種的集団、又はそれに属する個人が、人権と基本的自由を完全かつ平等に共有することを保障するために、社会的、文化的、経済的、及びその他の分野において、その集団と個人の十分な発展、保護を確保する特別かつ具体的な措置をとる」とあります。「文化的」に「十分な発展、保護を確保する」ためには民族教育が不可欠なものであるということは明白です。これに対し「特別かつ具体的な措置をとる」ことが要請されているといえます。条約を批准した以上、それにそぐわない現状・制度は即時、改正せねばいけません。また、日本がすでに批准している、「国際人権規約」や「子どもの権利条約」でも、「初等教育は義務的なものとし、すべてのものに対して無償とすること」と規定し、さらに外国人が「その集団の構成員とともに…自己の文化を享受」し、「自己の言語を使用する権利」を尊重しています。民族教育の場である朝鮮学校を学校教育法上の「一条校」に準じて処遇することが、これらの国際条約の精神に沿うのは明らかです。 資料5 国際人権規約
子どもの権利条約
人種差別撤廃条約
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<「65年通達」編> ●65年通達とその背景にある日本政府の意図 |
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A:1965年といえば大韓民国と日本政府のあいだで「韓日条約」が締結された年です。この「韓日条約」と同時に結ばれました。「在日韓国人法的地位協定」は戦後補償問題の未解決、朝鮮半島の分断固定化、在日朝鮮人社会の混乱など様々な問題の原因となっているものです。また日本政府(文部省(当時))が在日朝鮮人に対して戦前と同じ「同化教育」を引き続き行っていくことを露骨にあらわした年でもありました。それは以下の言葉に象徴的に表れています。 −「わが国に永住する異民族が、いつまでも異民族としてとどまることは、一種の少数民族問題として将来困難深刻な社会問題となることは明らかである。彼我双方の将来における生活の安定と幸福のために、これらの人達(在日朝鮮人)に対する同化政策が強調されるゆえんである。すなわち大いに帰化して貰うことである。」(1965.内閣調査室「調査月報」7月号) −「ただいま言われるような、(在日朝鮮人の民族教育実施要望について)もしそれが植民地を解放して独立したのだ、独立した教育をしたいのだ、こういうことであればそれはその国においてなさることはいい。ここは日本でありますから、日本にそれを要求されることは、いかがかと、かのように私は思うのであります。はっきり申し上げておきます。」(1965.12.4 参院日・韓特別委員会 佐藤首相) −「彼らが(在日朝鮮人)わが国社会に調和した存在になるか否かの基礎は教育によって養われるので、彼らとしては進んでわが国の学校に入るようにし、日本側としては彼らを喜んで迎え入れるようにして、幼児の時より両国子弟が生活や学習をともにし、自然に親和的関係を結ぶようにすることが大切であると考える。」(1965.8号「文部時報」 石川参事官) まさにこのような発言の延長線上に1965年12月28日に文部事務次官通達は出されたのです。 Q.12 この通達が出され朝鮮学校はどのような状況になったのでしょうか? A:先ほども述べた通り「各種学校」の認可権は各都道府県知事にあります。通達の意志に反して「朝鮮学校」を各種学校として認可する地方自治体が増加するという、文部省(当時)にとっては皮肉な結果となりました。とりわけ1968年に美濃部東京都知事が文部省(当時)の反対を押し切り朝鮮大学校を各種学校として認可したことが世論を沸かし、認可されていなかった朝鮮学校の認可問題に大きな影響を及ぼしました。 Q.13 この通達が原因となって朝鮮学校が差別的処遇を受けたと聞きましたが? A:1996年11月に下関朝鮮初中級学校が校舎の老朽化にともなう新校舎建設費に対する指定寄付の適用(承認されれば、指定寄付金が損金として処理できる)を山口県に申請しました。所轄庁である山口県は朝鮮学校を教育内容からも問題ないとし、文部省(当時)との協議に入りました。しかし文部省はこの申請を却下しました。 Q.14 申請が却下されたのは朝鮮学校が各種学校だからではないのですか? A:そんなことはありません。寄付金が損金として認められる対象となる学校は、@学校教育法第一条校(小、中、高など)、A専修学校、B各種学校とされています。このうち各種学校については「一条校の行う教育に相当する内容の教育を行う学校で、その教育を行うことについて相当の理由があると所轄庁(都道府県知事)が認めたもの」とさています(大蔵省告示第154条にもとづく指定寄付金の承認)。 このケ−スは、所轄庁である山口県は朝鮮学校を「一条校の行う教育に相当する内容の教育を行う学校」と認めました。しかし、文部省は65年通達を持ち出し、朝鮮学校については通達の趣旨通り各種学校として認可することを積極的に認めていない(また通達の内容の変更も特に行っておらず、新たに方針を変更する状況にはない)とし、大蔵省告示にいう「その教育を行うことについて相当の理由があると所轄庁が認めること」は適当でないとしました。 Q.15 では、他の外国人(民族)学校も寄付金の損金扱いは受けられないのですか? A:日本にある外国人(民族)学校は基本的に朝鮮学校と同様に各種学校扱いとなっています。ところが指定寄付金の適用に関しては他の外国人(民族)学校には認められているのです。インタ−ナショナルスク−ルやアメリカンスク−ル、東京韓国学園などがその例ですがこれらの学校は「一条校の行う教育に相当する内容の教育を行う学校で、その教育を行うことについて相当の理由があると所轄庁(都道府県知事)が認めたもの」とされ、文部省も適当と認めたわけです。その理由として「生徒の大半は日本語が話せない短期滞在者。海外の日本人学校が受ける保護との相互主義的な考えで便宜を供与している。」(97年8月7日、朝日新聞)としています。 一方、朝鮮学校に関して吉田和文・文部省国際教育室長(当時)は「健全な日本人を育てるという文部省の立場からすれば、朝鮮人同胞を育てるのが目的の朝鮮学校は日本の公益に資するとは思えない。政府として保護することには否定的にならざるを得ない。」「朝鮮学校に通うのは日本で生まれ育ち、日本語が話せる定住者。一条校で教育が受けられるはずだ。」(同日、朝日新聞)、「米国やカナダなどのインタ−ナショナルスク−ル(国際学校)は仕事の都合などで短期滞在する人の子どもが多く、国際交流を進める意味で国にとって公益性が高いと判断し、寄付金制度を認めている。一方、朝鮮人学校はこれとは異なり、日本での永住権を持つ長期滞在者の子どもが多く、国にとって公益性が高いとは認められない。」(1997年 8月 12日毎日新聞)と説明しています。他の外国人(民族)学校は日本社会にとって公益性が高いが、朝鮮人が通う朝鮮学校だけは日本社会にとって公益性が低いとする文部省の見解は、朝鮮学校(朝鮮人)に対する不当な差別といわざるを得ません。 |
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<現状編> | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
Q.16「一条校」になるのを望んでいるのではないのですか? A:現行の学校教育法では「一条校」は文部科学省の検定教科書を使うことが義務づけられています。これは朝鮮語で授業することを不可能にするとともに、民族の文化や歴史を十分に教えることを困難にします。私たちはこのような真の意味での民族教育を行えなくする現行法のもとでは「一条校」になることは出来ません。日本人が日本人の子どもに日本の言葉や歴史を教えるように、朝鮮人が自民族の言葉や歴史を教えてしかるべきだと考えるからです。 故に「一条校」になれないがそれに準じた、同等の処遇を求めているのです。 A:朝鮮学校は文部科学省からは「各種学校としても認められない。」とされています。しかし各種学校の認可権は各都道府県知事にあるため朝鮮学校は各地方で各種学校として認可されました。 今ではすべてが各種学校となっているわけですが、だからといって満足な処遇とはいえません。主だったものを挙げると ・進学、資格の取得に壁がある。●朝鮮学校(卒業)生の国家試験受験資格 ・国立大学をはじめ、受験資格を認めない大学がある。 ・ほとんどの高等看護学校(看護専門学校、看護短大など)が受験資格を認めていない。また准看護専門学校(准看護養成所)への受験資格すら認められていない自治体も多い。 ※高等看護学校を卒業しなければ正看護学校の試験を受けられない。 ・学校運営の負担 ・学校への教育助成額が一般の私立学校とくらべても著しく低い。 ・朝鮮学校への寄付金が税法上の「損金」扱い(控除対象)されない。●日本の学校との税制上の優遇措置比較 といったところになります。 Q.18 2003年に文部科学省で外国人学校にも入学(受験)資格を認めたと聞いたのですが? A:文部科学省は、2003年9月19日入学資格における弾力化措置をとりインターナショナルスクールや韓国学校、中華学校といったナショナルスクールにも入学資格を認めたが、朝鮮学校には政府としては認める形をとらず、各大学による個別審査に委ねる形をとりました。不当な線引きではありますが、従来、大学の個別審査による入学資格認定も駄目だとしていた文科省がその姿勢を改めたことにより、国立(国立大学法人)をはじめ多くの大学が入学資格を認める流れが確定したと言えます。 Q.19 では現在、朝鮮学校に対し、入学資格を認めている大学はどれくらいあるのですか? A:1994年1月現在、国立は83校中、82校認められています。公立や私立は次の設問をご覧下さい。 Q.20 受験資格を認めている大学はどれくらいあるのですか? A:まず下の資料を見て下さい。これは1996年10月より開始された調査による認定一覧表で、2000年調査時点での把握数です。公立は66校中34校、私立は457校中228校といずれもほぼ5割に達していたことが分かっています。なお上述した、文科省の弾力化措置やほぼ全ての国立大が認定する中、さらに認定校が増えている、また増えていくことが予想されます。 資料 民族学校に対する受験資格を認めている大学一覧
(※国立大学は一切認めていない)
Q.21 なぜ最近まで国立大学(国立大学法人)は入学資格を認めてこなかったのですか? A:まず、問題は文部科学省の指導にあったと言えるでしょう。1995年に国立大学へのアンケート調査を行った在日朝鮮人権利擁護委員会によると、多くの大学が入学資格の認定について文部科学省の指導によって(もしくは法令で定められており)大学独自の決定はできないとしており、また調査の過程で「文部科学省が毎年、大学入学試験に関する担当者へブリーフィングの(説明会)を開き、朝鮮高級学校課程修了者は「大学入学に関し高等学校を卒業した者と同等以上の学力があると認められる者の指定」でも指定されておらず、受験は認められないと指導している」ことを明かす大学の担当職員もいたということです。 文部科学省は1996年の告示改正により、横浜のドイツ人学校卒業生の受験資格を認めました。ドイツ人学校よりはるかに希望者が多く、また実績もある朝鮮学校が排除される理由はどこにも見あたりませんがつい最近までの文科省の対応はこのようなものでした。
Q.22 海外の日本人学校はどのような処遇を受けているのでしょうか? A:海外にある日本人学校は50カ国に82校(2005年4月15日現在。数字には私立在外教育施設や補修校と言われるものは含めていない)あり、これらの学校は両親の海外駐在などで外国に在住する日本人の子どもたちを対象にしています。教育内容も現地の教育制度とは関係なく、6・3・3制度をとり日本の学校カリキュラムによって、日本の教科書を使い、日本人の教員が指導しています。これらの学校の相当数は各国で私立学校と同一と認められたり、外国人学校として特別の法令条項で認可されたりしています。1990年秋の各学校への文部省調査では、「現地の正規の上級学校への入学資格がある」とはっきり回答した国が32国ありました。 オ−ストラリアでは、日本人学校は現地の私立学校と同様に認可されており、オ−ストラリア政府と州政府が地元の私立学校と同様の教育助成を実施しています。また、ニュ−ヨ−クにある日本人学校も私立学校として認められています。海外ではその国の正規の学校と同じような処遇を受けていながら、日本国内の民族学校には各種学校という不安定な法的保障しか与えない文部科学省(日本政府)の態度はまったく不当しか言いようがありません。 Q.23 朝鮮大学校卒業者は国立の大学院を受験できるのでしょうか? A:朝大卒業生の日本の大学院への入学資格は私立、公立については基本的に大学(学部)の方と同様な判断がなされており多くの大学において門戸が開かれています。国立大学大学院についても、国内外での世論の高まり、相次ぐ国連勧告や、国会での議員による追求、そして1998年に京大大学院が、1999年の初頭には九州大学大学院がそれまでの文科省の否認姿勢をはね除け独自に入学を認めたということが決定打となり、1999年の夏に大学院入学資格については各大学の自主判断に委ねるという一定の弾力化措置がとられるに至りました。その結果、現在では国立でも多くの大学院が受験の門戸を開いており、多くの朝大卒業生が既に東大、京大をはじめ多くの国立大大学院へ進学しています。 A:日本政府は大学入学資格と同様、2003年9月より専修学校の受験資格においても弾力化措置をとりました。大学入学資格と同様、朝鮮学校については卒業生個々人に対する「各学校の個別審査」に委ねる形がとられたが、これにより入学資格を認める専修学校が増えてきています。
Q.25 最近、朝鮮大学校卒業生に多くの国家資格試験の受験資格が与えられたと聞いているのですが? A:朝鮮大学校卒業者の司法試験1次試験免除が認められて以降(2004年8月)、朝大生に人気の高い主だった国家資格についても受験資格が与えられるようになった。2004年12月には、保育士の受験が可能になり(朝大在学生、卒業者)、今年の1月には社会保険労務士(朝大卒業者)、5月には税理士(朝大で所定科目を履修した者)の受験資格が与えられた。これまで朝大出身者は、資格取得のために「遠回り」を強いられてきたが、朝大や人権協会などの働きかけにより、大きく開かれるようになりました。 |