外国人学校卒業生の国立大学受験―欧米系とアジア系を差別する文科省の国際人権条約違反の人種主義


                                                   岡本雅享
                      週間金曜日(03/3/14)

 文部科学省は今月六日、いわゆる「外国人学校」のうち、欧米系のインターナショナルスクール(IS)卒業生に大学入学資格を与え、アジア系の朝鮮学校や韓国学園、中華学校・学院の卒業生には当面認めない方針を明らかにした。昨年三月末、「IS卒業者の進学機会の拡大(平成一四年度中に措置)」が閣議決定されてから、文科省内では朝鮮学校卒業生の処遇をめぐって意見が分かれ、今年一月一六日には、河村建夫副大臣が「ISには朝鮮学校も含まれる」との見解を示したばかりでもある。だが締切りの今月、省内で本来関係ない「拉致事件」などによる在日朝鮮人へのネガティブなイメージを追い風にした「認めない」派が優勢となり、アジア系学校は「引き続き検討」との妥協に至ったとみられる。

国際人権条約との抵触

 いま日本にある外国人学校の大半は、幼稚園から大学に至る教育体系を備えた朝鮮学校である。それに対する文科省の見解は「朝鮮人としての民族性または国民性を涵養することを目的とする朝鮮人学校は、わが国の社会にとって、各種学校の地位を与える積極的意義を有するものとは認められないので、これを各種学校として認可すべきでない」という一九六五年一二月末の文部事務次官通達に端的に表れている。
 実際には、この三十数年の間に、各都道府県が独自に朝鮮学校を各種学校として認可し、文部省はそれを黙認するようになったが、朝鮮学校卒業生の大学受験資格については「我が国の学校教育体系の根幹にかかわる問題」(注1)として、一貫して否定してきた。その意向に従い、今でも全国立大学、公立・私立大学のほぼ半数が、朝鮮高級学校からの受験を認めていない。この問題について、国際人権条約の実施監視機関(注2)は再三、条約違反を指摘し、民族差別撤廃を勧告してきた(注3)。これに対し日本政府は常に、外国人学校をISも含めて一律に認めていないから、民族差別ではないと反論してきた。例えば、九八年秋の自由権規約委員会(国連欧州本部)では、委員から、朝鮮学校卒業生の大学受験資格の否認は規約二条が禁止する差別であり、規約に署名する時点で改正すべきだったと指摘されたのに対し、日本政府代表はこう答えた。「韓国・朝鮮人学校を含む国内の外国人学校は、そのほとんどが各種学校となっており、その卒業者に対して高等学校卒業者と同等以上の学力があると認定することは困難で、大学入学資格は認めていない。これは学校教育法第一条に定める学校と、各種学校との区別に基づくもので、規約二条が定める差別にはあたらない」(外務省人権難民課長)。「外国人学校に入学するか、日本の小中学校に入学するか選択できるし、韓国・朝鮮学校のみに異なる取扱いをしているものではないから、規約に定める差別にはあたらない」(文部省高等教育推進改革室長)。(注4)
 ところが今回、文科省は「高等学校卒業者と同等の学力があるか否か」という認定方法など、いか様にもなることを、ISについて自ら示した。すると、どう理屈をつけても、西欧人学校出身者に対し、アジア人学校出身者を差別する、「奇妙な人種主義」が露呈する。日本でもこの間多くの国内法制度が条約機関の勧告で変わっているが、国内省庁の抵抗が頑強で、変更は他の「先進国」ほど容易ではない。そこで必要なのは後押しする世論だ。

愛国心教育と表裏一体

 文科省が朝鮮学校をめぐっていう「社会にとっての積極的意義」や「学校教育体系の根幹」とは一体何か。その一端が、一昨年春の人種差別撤廃委員会で浮かび上がってきた。この時委員から「多くの国では、この人口規模(一〇〇万人)のマイノリティに対して普通行なっているのに、なぜ日本の学校教育の中に朝鮮語のクラス、二言語クラスが存在しないのか」などと指摘された文科省は、「日本における初等教育の目的は、日本人をその社会のメンバーとなるように教育することである」から、そうした目的をもつ義務教育を外国籍児童・生徒に課するのは適切ではないし、そうした基準(目的)に従わない学校(多文化カリキュラム的な学校)を公教育の一部とすることはできないと答えた。その前年、首相の諮問機関・教育改革国民会議が発表した第一分科会報告は、「日本人へ」と題され、「日本を祖国として生を受け、その伝統を血流の中に受け……その歴史を持たない個人はなく」と論じ、「共通の祖国を持つあなた達」へで締め括られている。そして今、教育の目的に「国を愛する心」などを挿入しようという教育基本法改定の動きが大詰めを迎えている(注5)。
こうした流れを見ると、朝鮮学校卒業生の大学受験資格の認知が、「学校教育体系の根幹」を揺るがすという、あまりに大げさな考えも理解できる。その意味で、彼・彼女らの受験資格の否定は、愛国心教育の導入と表裏一体のものといえる。
 だが、異なる民族・文化による教育が国内で行われる意義を否定し、多文化教育を排除しつつ行われる愛国心教育は、偏狭なナショナリズムを助長する。一昨年の春、人種差別撤廃委員会が前述の文科省の方針は「人種隔離および教育や訓練、雇用の権利に不平等をもたらす」と懸念し、条約五条を守り、民族的出身による差別なく教育を保障するよう勧告したのは、そのきな臭さ故だろう。
 在日韓国・朝鮮人は、植民地支配下の徹底的な同化政策の結果、自らの意に反して民族語や民族的アイデンティティ喪失の危機に直面している。戦後も政府が朝鮮学校を執拗な弾圧によって閉鎖し、民族教育に対し様々な否定と干渉を行ってきた経緯が在日韓国・朝鮮人の子どもの九割が一般の日本の学校に通い、十分な民族教育を受けられない現状をもたらした。それ故に、国際人権条約の下では、日本政府は民族教育への積極的支援さえも求められている。在日が韓国籍と朝鮮籍に分けられる前に作られ、今は韓国籍、日本国籍者も、民族教育を受けたいがために通っている朝鮮学校問題の原点はここにあり、「拉致事件」等とは無縁であることを、冷静に認識すべきである。

(注1)一九九七年二月二〇日、参議院文教委員会での小杉隆国務大臣答弁、ほか。
(注2)国連が採択した国際人権条約は、国内法に優位し、抵触する法律があれば改
定するなど、国内法制度を整備しなければならない。一九八〇年代半ば、日本が女性
差別撤廃条約批准に合わせ、男女雇用機会均等法を制定し、また父系優先血統主義の
国籍法を改定したのもそのためだ。だが締約国(政府)がこれでよしとする範囲と、
国際人権規準上まだ改定が必要なものとの間にはギャップがある。国内状況を審査
し、
それを指摘するのが、国連に事務局を置く条約実施監視機関で、条約ごとに自由権規
約委員会(HRC)、人種差別撤廃委員会(CERD)、子どもの権利委員会(CR
C)などが置かれ、政府が定期的に国連事務総長に提出する条約実施報告書を審査
し、
条約と抵触する問題に関する「懸念と勧告」を採択する作業を続けている。
(注3)CRCは一九九八年春、日本政府報告書審査後に採択した総括所見で、「韓
国・朝鮮人の子どもが高等教育機関へ進学する際に存在する不平等な扱い」を「主要
な懸念事項」の一つに挙げた。同年秋のHRCも総括所見の「懸念事項と勧告」で
「朝鮮学校が承認されていない」ことを明記。二〇〇一年春のCERDの総括所見
は、
在日韓国・朝鮮人の生徒が高等教育へのアクセスにおいて不平等な取扱いを受けてい
ることを懸念し、学校制度上の差別的取扱いを撤廃するよう、より明確に勧告してい
る。
(注4)これに対しコルヴィル委員は、「六五年通達は全く差別的である」「日本の
学校に入る選択肢があるというが、多くの大学に受け入れられるには、同化の過程を
経なければならない」と批判し、自己の文化や言語に基づく教育をしたい在日韓国・
朝鮮人が、なぜそうしなければならないのかと尋ねた。それでも政府特命全権大使
は、
日本には朝鮮学校の他にもいろいろな外国人学校があり、これらの学校はドイツ語、
フランス語、英語等で教える各種学校と日本の学校の違いを十分認識しており、朝鮮
学校のみが差別だと不平を述べているのは、政府として受け入れがたいと弁明した。
(注5)それに先行し、福岡市では昨年、市内小学校の半数が「国を愛する心情を持
つ」ことを、通信表の成績評価項目に導入した。

おかもと まさたか・在日韓国人問題研究所(RAIK)国際人権部会

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