大学入学資格に関する文科省令改定について  

                     師岡康子(弁護士) 「人権と生活」第17号より

1、弁護士有志の会の取り組み          

本年三月六日、文部科学省は、外国人学校・民族学校(以下、総称して民族学校という)のうち、欧米系インターナショナルスクールの一部のみに大学入学資格を認めると発表した。アジア系・中南米系に対する民族差別であるとの強い抗議の前に、三月二十八日、同省は方針の凍結と夏までの再検討を表明せざるを得なかった。

そこで私たちはすべての民族学校に大学入学資格を認めさせるため、五月末に「外国人学校・民族学校の問題を考える弁護士有志の会」(新美隆弁護士・丹羽雅雄弁護士共同代表、以下「弁護士有志の会」という)を結成した。

六月五日には全国の弁護士百六十五人の連名で大学入学資格について現行法令の問題点を指摘する質問書を出し、六月末日までの回答を求め、以後担当官らと数回交渉を行った。また、六月十六日より、各地の民族学校の生徒・卒業生らの代理人として、全ての国立大学に対し七月末までに大学入学資格の認定書交付を求める交渉を行った。夏までを目処に文部科学省に全民族学校に大学入学資格を認める法令改正をさせることを第一目標とし、あわせて公私立大学と同様に各国立大学における個別認定の獲得を第二目標とし、両者への同時並行の働きかけによる相乗効果を図ったのである。

八月六日、文部科学省はようやく大学入学資格を拡大する省令等改定案を提出し、九月十九日改定を行った。しかし、その内容は三月発表の欧米系に加え東京韓国学校等五校(その後、十月に二校追加)に対しては大学入学資格を認めるが、朝鮮学校のみを学校単位での認定からあえて排除するものであった。十一月五日現在、全国の国立大学八十三校のうち、五十七校が朝鮮学校の生徒に認定書を交付しているが、生徒個人の認定であり、朝鮮学校の生徒たちだけがこのような煩雑な手続を強いられ、不安定な状態におかれている。私たちは実質学校単位の認定をするよう大学と交渉を継続していくが、やはり今回の省令改定自体が新たな差別を作り出しており、これを改めなければならない。

2、民族学校の大学入学資格問題とは

 省令改定前、すべての民族学校に大学入学資格が認められておらず、生徒たちが日本の大学を受験しようと思えば、基本的に大学入学資格検定に合格するしかなかった。特に国立大学は文部科学省の行政指導に従い一校も入学資格を認めてこなかったため、国立大学を希望する者は大検などを受験せざるを得なかった。政府は学校教育制度から民族学校を排除し、民族学校を学校教育法第一条で定めるところの「学校」と認めてこなかったため、、生徒たちは民族学校の高等学校相当課程を卒業しても高卒の資格を取得できず、大学入学資格も認められなかったのである。

政府がこのような民族学校差別政策をとってきたのは、朝鮮植民地支配以降、戦後も引き続く反朝鮮人政策の一環として朝鮮学校を差別し、それが現在も民族学校政策の基本となっているためである。一九四五年、日本の敗戦直後から在日の人々の手で全国各地で朝鮮学校が設立されたが、一九四八年に文部省は、在日朝鮮人の子どもたちが民族学校で学ぶことを禁止する学校教育局通達を出し、これに基づき四八年・四九年各県で朝鮮人学校閉鎖令が出され、多くの民族学校が強制閉鎖された。一九六五年には文部事務次官が都道府県に宛てて「朝鮮人としての民族性または国民性を涵養することを目的とする朝鮮人学校は、わが国の社会にとって・・積極的意義を有するものとは認められないので、これを各種学校として認可すべきではない」という通達を出した。この通達は朝鮮学校の存在意義自体を否定し、一条校どころか各種学校としてすら認可すべきでないとするもので、政府の朝鮮学校を敵視する他民族に対する排外主義的な政策を端的にあらわしている。この通達は二〇〇〇年地方分権一括法によりその法的効力を失ったとはいえ、政府がその内容である朝鮮学校敵視政策自体を現在まで改めていないところに問題の根がある。

日本の植民地支配の結果日本で生活せざるを得なくなった在日の子どもたちに対して、本来なら政府は植民地支配における民族の言語・文化・民族の名前の剥奪を謝罪し、その償いとして民族学校建設を行うなど、民族教育を受ける権利を保障すべきであった。  

 また、日本が批准している子どもの権利条約、自由権規約、社会権規約、人種差別撤廃条約などに照らせば、憲法第十三条(幸福追求権)、第二十六条(教育を受ける権利)、第十四条(平等権)、第九十八条(条約遵守義務)により、すべての子どもたちが国籍・民族を問わず民族教育を受ける権利を政府は保障しなければならないはずである。

しかし、政府はこの間、国連の各委員会から、この問題で度重なる勧告等を受けても無視し続け、民族学校への差別政策をとり続けて来た。

3、 大学入学資格に関する法令の問題点と改定内容

今回の改定前、大学入学資格は法令上矛盾に満ちた制度となっており、その矛盾を私たちは質問書で指摘した。学校教育法第五十六条第一項では、「文部大臣の定めるところにより、これと同等以上の学力があると認められた者」に大学入学資格を認め、学校教育法施行規則第六十九条で具体的に定めている。以下、同条における本問題と関連する各号について改定前の条項を掲げた上で、どう改定されたのかについて述べる。


(1)「外国において、学校教育における十二年の課程を修了した者又はこれに準ずる者で文部科学大臣の指定したもの」(第一号)

同号では、外国の高校の卒業生に対し、その教育内容や教育水準を問わず、無条件で大学入学資格を認めている。そこで、例えば韓国の高校卒業生には日本の大学入学資格があるが、韓国の高校に高校二年まで在学し、高校三年時に韓国が同国の正規の課程と認める東京韓国学校に転校し卒業した場合には、大学入学資格がない不合理が生じていた。文部科学省は同号の趣旨を、各国の歴史や文化の多様性を尊重する国際的観点より、国ごとに異なる教育内容に立ち入ることなく、履修した年数が日本と同じ十二年であることのみを基準とする、いわゆる課程年数主義の考え方と説明してきた。とすれば、日本国内において外国の正規の課程と認められている民族学校についても、課程年数主義の考え方からすれば、一号で、大学入学資格を認めるべきであることを私たちは指摘した。

 この点につき、文部科学省は、一号の「外国において」とは、外国に所在する学校を指すから、日本国内の民族学校を含めることはできないと説明してきた。
 今回の改定では、一号を改定し、外国の高校と同等の課程と位置付けられた民族学校を含めることにした。ただし、朝鮮学校については、公的に確認ができないから指定できない、とすでに八月の改定案発表の時点で排除している。同様に国交のない中華民国(台湾)系の民族学校については同号で認めたことから、恣意的な、最初に結論ありきとの姿勢である。
 条文上、改定前後で変ったのは、「外国において、」を「外国において」にしただけ、つまり「、」をとっただけである。これにより、外国に所在する学校という意味に限定されなくなったと文部科学省は説明するが、あまりに不誠実である。私たちの指摘したように、改定前の一号によっても民族学校を含める解釈は可能であったのに、それを認めるとこれまでの文部科学省の主張があやまっていたことを認めざるを得なくなるから、これまでの主張は維持した上で、省令を改定したとの単なる形式を整えるため、「、」をはずしたに過ぎない。

(2)「文部科学大臣の指定した者」(第三号)

 文部科学大臣は告示第四十七号で具体的に指定する対象を列挙し、その第二十一号で日本の専修学校高等課程をあげている。この場合、修業年限三年以上で卒業に必要な総授業時数が二五九〇単位時間以上、普通科目の総授業時数は四百二十単位授業時数以上などの形式的・外形的な要件をみたせば学校単位で大学入学資格が認められる。専修学校の教育内容は、針灸・ビジネス・調理など多様であり、一条校のように学習指導要領に従う必要はない。朝鮮学校はすべて前述の要件を充たしているが、専修学校の規定は「我が国に居住する外国人を専ら対象とするものを除く」とされているため、この規定によっても大学入学資格を認められなかった。つまり、上記の要件を充たしているのに、民族学校は民族学校であるというだけで大学入学資格を認められず、教育を受ける権利における不平等があらわになっていた。 

 現行法令を生かし、日本の学校と同等に扱い、民族教育を保障する観点から統一に民族学校に学校単位で大学入学資格を認定するなら、この専修学校の規程を活用するべきであることを、私たちは指摘してきたが、今回文部科学省は、省令改定にあたり、他の指摘は一定とりいれつつ、あえてこの専修学校高等課程方式を無視した。

 なお、インターナショナル・スクールのうち、欧米系の三つの私的学校評価団体の認定を受けた学校については、告示第四十七号の第二十四号として追加された。

(3)「その他大学において、相当の年齢に達し、高等学校を卒業した者と同等以上の学力があると認めた者」(第六号)

 同号は普通に読めば、各大学に入学資格の認定権限があるとしか理解しえず、実際多くの公私立大学はこの条項によって民族学校の卒業生に入学資格を認定してきた。

ところが、文部科学省は、同号による大学の認定権限を戦前の旧制諸学校在校生の救済措置のために限定し、同号は事実上死文化しているとの条文からかけ離れた主張に固執し、大学には民族学校卒業生を個別に認定する権限はなく、認定しても違法であると公言してきた。

 しかし、政府が設立した大学入試センターは、センター入試出願要項において、公私立大学発行の認定書を大学入学資格の証明書として扱うことを明記し、同省もその扱いを黙認してきたのであり、その矛盾した政策は破綻していた。

 改定後、六号は、もとの条項に「個別の入学資格審査により」「一八歳に達したもの」との文言を挿入した。もとの条項でも十分に各大学には認定権限があったといえるが、やはり、これまでの文部科学省の同号の主張が正しかったと言い張るため無理に改定を行ったのである。

 今回の省令改定において、実は同時に施行規則第七〇条第五号が削除されている。同号は大学院の入学資格について「大学院において、大学院における教育を受けるにふさわしい学力があると認めたもの」という、改定前の施行規則第六十九条第六号と同様に、大学院に認定権限を付与している条項である。これについても文部科学省は、各大学院には認定権限はないと主張し、一九九九年、九州大学・京都大学の大学院が同号に基づき朝鮮大学校卒業生に入学資格を認定するや否や、同省の指導に逆らう大学の存在を認めることを回避するため、同条に第六号として、「大学院において、個別の入学審査により、大学を卒業した者と同等以上の学力があると認めた者」との条項を新設し、同省が大学院に認定権限を認めないと主張する第五号ではなく、新設の第六号により各大学院の認定権限を認めると取り繕った。そこで、ほとんど同文の五号と六号とが併存し、あまりにも不自然な状態がこれまで続いてきた。それを今回、文部科学省は、何の説明もなく、第六十九条改定に紛れこませて削除したのである。このやり方自体、五号と六号とが常識的に見て同内容としか理解できず、文部科学省の主張は通らないことを自認したようなものであることを指摘したい。

 このような省令改定の内容では、到底民族教育を受ける権利を保障したとは言えず、未だ憲法違反の状態が続いている。私たちは、民族教育を保障する法制度を確立するまで、裁判も含め、様々な取り組みを継続していかなければならない。

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