※※本文は【季刊教育法N0.138 2003年9月号】に掲載された論考です(元々は縦書きの原稿であるため数字は漢数字となっています)。
朝鮮学校卒業生等への国立大学入学資格付与問題
弁護士 張 學錬
はじめに
今年二月に、国内の一部の欧米系インターナショナルスクール卒業者について大学入学資格を付与するとの文科省の方針が報道されて以来、露骨なアジア系民族学校差別であるとの批判に始まる騒動については、マスコミを通じて、あるいは国立大学の受験現場で実地にご承知の方も多いと思われる。
本稿執筆中の時点において、この問題が最終的解決を見ているわけではないが、八月の文科省の方針転換発表により、とりあえず方向性が定まったという意味では一つの転換点を迎えたという時期であると思われるので、「外国人学校・民族学校の問題を考える弁護士有志の会」の一員として、法的問題の所在と運動の顛末について報告させて頂きたい。(注一)
1 大学入学資格とは
一般に国立大学受験資格問題と言われるが、正確には「大学入学資格」である。つまり、競争試験・推薦入学に関わらず、およそ大学に入学するための一般的資格であり、国公私立を問わない単一の資格である。国立大学入学資格という言い方がされるのは、単に事実として国立大学が一校の例外もなく民族学校卒業者に対して入学資格を認めてこなかったことを反映しているに過ぎない。
一方、公立大学では、朝鮮学校について、六六校中三四校が、私立大学では四五七校中二二八校が入学資格を認めており、既にほぼ半数が入学資格を認めている。(注二)
こうした取り扱いの差異が、法律的にどのように説明されうるのか、誰しも疑問が生じるところであろう。
学校教育法は、五六条一項で、高等学校卒業者等(「等」の具体例は省略)又は文部科学大臣の定めるところにより、これと同等以上の学力があると認められた者に対して大学入学資格を認めている。外国人学校・民族学校は、基本的に同法1条にいう高等学校たりえないので、問題は同項後段となるが、これを受けた同法施行規則六九条は、六つの類型を設けてその指定をしている。(注三)
たいていの外国人学校もしくは民族学校は、一ないし五号のいずれにも該当しないので、国立と公私立の取り扱いの違いは、この六号の解釈の差異に由来している。すなわち、六号のみは、法五六条一項後段にいう同等以上の学力がある者を大学が個別に認定することを許容する規定になっており、現に公私立大学は、この規定に基づいて個別に認定しているのである。
ところが、国立大学にあっては、文科省が大学入学者選抜実施要項趣旨徹底協議会などを通じて強力な指導を行い、六号の発動を完璧に阻止している。その指導の根拠は、①大学入学資格について全国統一的なものとして大学入学資格検定(いわゆる大検)があり、各大学が個々に実施する必要がなく、②大学が独自に認定することはその程度、取り扱いに差を生じるおそれがあるため、特に国立大学にあっては大学独自の入学資格認定はできる限り避けるべし(昭和四〇年九月一七日学大二四八号大学学術局長回答)ということである。この指導を全ての国立大学が遵守してきたのである。
しかし、いうまでもなく六号は、大学に独立した入学資格認定権を認めた規定であり、その権限行使において文科省にいちいち容喙されるいわれはない。ところが、文科省の近時における説明によると、別途定められた三号に基づく告示で多数の旧学制下の修了者等に関する指定(昭和二三年五月三一日文部省告示四七号)があるが、六号はその規定から漏れた旧制学校修了者を救済するための規定であるから、それを外国人学校卒業者に適用してはならないというのである。これが解釈論の枠をはみ出る独自の見解であることは言うまでもない。
2 一貫する論理と一貫しない論理
文部当局は、外国人学校・民族学校(実質的には朝鮮学校が最大かつ最重要のターゲットとなる)については、日本社会で正当な地位を与えないという基本的なスタンスを戦後一貫して持ち続けてきた。かの有名な阪神教育闘争事件(注四)以来、一九六五年の文部次官通達にいう、①朝鮮人学校については、学校教育法第一条に規定する学校の目的にかんがみ、これを学校教育法第一条の学校として認可すべきではない②朝鮮人としての民族性または国民性を涵養することを目的とする朝鮮人学校は、わが国の社会にとって、各種学校の地位を与える積極的意義を有するものとは認められないので、これを各種学校(一条校でさえないことに注意。筆者注)として認可すべきでない(「朝鮮人のみを収容する教育施設の取り扱いについて」文管振第二一〇号昭和四十年十二月二十八日)との政策が現在に至るまで連綿と継承されているのである。今日、文科省は、外国人学校・民族学校卒業生については、大検を受検すれば日本の大学に入学できるから差別的に取り扱っていないと国会・国連などで説明しているが、この大検自体、僅か四年前まではその受検資格すら外国人学校(インターナショナルスクールを含む)・民族学校卒業生には認めていなかったのである。
一方で、法五六条一項後段にいう大学入学資格を認めるべき学力水準について、文部当局はいかなる政策を持っているのであろうか。施行規則六九条一号と三号について詳細に検討してみる。(なお、二・四・五号の検討は、いずれも本稿では関連がないので省略する)
まず、一号は、外国の学校教育システムによる教育を受けた者に対して入学資格を認める規定である。文科省の説明によると、「各国の学校教育制度が、その国の歴史や文化などを反映し、それぞれの国において様々であり、大学入学資格についても、学校の修了をもって付与する国や一定の資格を有することが求められる国など区々である中で、外国においては我が国の国家主権が及ばないこと、また外国の教育制度を正確に把握するのが困難であることなどから、便宜上、国ごとに異なる教育内容に立ち入ることなく、履修した正規の学校教育の教育課程の年数が日本の高等学校卒業と同様の12年であることをもってその水準を担保する、いわゆる課程年数主義の考え方による」とのことである。
すると、日本国内で外国の学校教育システムに準拠した教育機関の卒業者について、この規定が適用できるかが当然疑問となるが(たとえば、東京中華学校は中華民国(台湾)の、東京韓国学園は韓国の学校教育システムに準拠しており、課程年数主義の適用対象となる。)、文科省の解釈では、一号の規定は「外国において」というところに意味があり、日本国内で同じ水準の教育を受けても同号後段の「準ずる者」にさえあたらず、大学入学資格は認められないというのである。(注六)
次に、三号は、条文上何らの解釈指針も示さず大臣の指定に委ねており、法律論から言っても違法な白紙委任と考えられないでもない規定であるが、これに基づいた指定(昭和二三年五月三一日文部省告示四七号)では、既に述べたようにあらゆる戦前の旧学制に基づく教育機関の卒業者・修了者に加え、欧州の大学入学資格であるバカロレアやアビトゥア合格者、さらに専修学校の高等課程のうち別途大臣が指定したものの修了者について大学入学資格を認めている。
この専修学校の高等課程については、専修学校が一条校ではないので原則として大学入学資格がないこととなるところ、大学入学機会の拡大と後期中等教育の多様化・活性化に資するという名目で、一九八五年から別途大臣が、①修業年限三年以上②総授業時数が二五九〇単位時間以上③普通科目についての総授業時数が四二〇単位時間以上などの要件の下に個別に指定して修了者に認めることとしたのである(注七)。日本国内においてさえ学習指導要領に準拠しない教育機関の修了者について、受けた授業時数を理由として大学入学資格を付与することとしてきたのである。
専修学校というのは、一条校以外の教育施設で職業若しくは実際生活に必要な能力を育成し、又は教養の向上を図ることを目的として組織的な教育を行うもので、修業年限が一年以上、生徒が常時四〇人以上のものということとされている(法八二条の二)。日本に居住する外国人を専ら対象とするもの、つまり外国人学校が明文で除外されているので、外国人学校・民族学校は、専修学校としては評価されないものの、専修学校の実質的定義の範疇に属することは明らかである。したがって、外国人学校が右記の要件を満たしていれば大学入学資格を与えることに何の支障もないはずであるが(注八)、文科省は、そのような考え方をしない(注九)。
本来一定の教育水準と年齢に達している者については、子どもの学習権の保障という憲法上あるいは国際人権法上の要請からも、大学入学資格をできる限り広く認めることが求められているにもかかわらず、文科省は、一貫して外国人学校・民族学校卒業者にそれを認めないようにしてきたと言って過言ではなかろう。よく外国人学校・民族学校は、学習指導要領に則っていないから大学入学資格を認めるべきではないという言い方がされるが、そのような考え方は課程年数主義でも、専修学校の例においてもとうの昔に放棄されている。そもそもそのような考え方は、大学というユニバーサルな存在の根本理念とも背馳するものであり、留学制度さえ否定する考え方であって、到底一般に受け入れられないであろう。
3 運動と文科省と国立大学
全国一六五名の弁護士を集めた我々有志の会は、こうした理論的根拠に基づき今年六月五日に池坊文部科学政務官と面談して大臣宛の質問書を手渡し、文科省の政策が如何に法律的に矛盾に満ちたものであるかを指摘した。右記の文科省の考えは、この質問書に対する回答において示されたものである。有志の会としては、その後何度か実務担当官僚と面談したが、驚いたことに、文科省には外国人学校の教育水準を認定する能力がないとさえ言ったのである。
もちろん、文科省に政策変更を迫る運動は我々弁護士ひとりが行っていたわけではなく、本稿冒頭の政策発表からこれを即時の凍結・再考に追い込んだのは当事者・民族学校関係者の声であったし、国立大学の教職員の有志あるいは大学生のネットワークも重要な役割を演じた。実際、彼らの力で国の関係者としては初めて池坊政務官が朝鮮学校を訪問するという極めて前向きな姿勢転換も引き出すことができたが、やはり昨年の九月一七日以降の北朝鮮に対する反感の高まりの影響は大きく、子どもには政治は関係ないという声は、政治家の耳にはなかなか届かなかった。
有志の会は、質問状を提出した後もさらに全ての国立大学(但し大学院大学は除く)に対して施行規則六九条六号に基づく入学資格認定を求める運動を展開した。これは、国立大学については基本的にセンター試験受験が義務づけられるが、同試験は、大学入学資格を証明する書類を提出しなければ受験できないので、民族学校卒業生として来年国立大学を受験する予定の者は、同号に基づく入学資格認定書の交付を出願前に各大学から受けておかねばならないからであった。
しかし、国立大学の反応は極めて悪く、僅かに既に学内で意思統一がされていた京都大学が、文科省が政策転換しない場合には独自に六号に基づいて認定すると表明したことや東京外国語大学が同様の意志表明をしたにとどまり、有志の会が設定した回答期限に文書(ファクス)で回答してきたのは一橋大学だけで、内容としては、文科省の見解をオウム返しにしたものでしかなかった。
このようななかで、文科省はついに八月四日に方針転換を発表したが、その内容は、①欧米系インターナショナルスクールのうち三つの評価機関の認定を受けたものの卒業者(三月に公表した方針のまま)、②外国人学校のうち本国において大学入学資格が認められていると公的に確認できるものの卒業者、③それ以外で各大学が個別に認定した者ということであった。
しかし、この新方針は、「公的に確認できるもの」という要件により、国交のない北朝鮮系の朝鮮学校卒業者を除外し、大学の個別的判断に委ねるというものであった。加えて、同じく国交のない中華民国(台湾)系の中華学校卒業者については、なぜか公的に確認できるとして②に入れることとし、朝鮮学校については、確認の努力をする前から③に入れることと「推定」していたのである。
現在、各国立大学に対しては、この新方針に則って入学資格認定を求めているところであるが、現実には新方針が施行規則や告示の改正という形を取る前には動けないと考えている国立大学がほぼ全てという情けない状況である。そもそも新方針が出る以前から公立・私立大学にはできていたことであり、もはや文科省が横槍を入れることはなくなったにもかかわらずである。(もっとも、この状況は本稿が掲載されるころには変動している可能性が高い。)
4 問題の所在と展望
現時点でのマスコミ論調としては、外国人学校・民族学校卒業生の国立大学入学資格問題は、ほぼ解決したということなのではないかと思われる。しかし、既に述べたように、朝鮮学校卒業者については全ての大学(国立に限らない)で入学資格が認められたわけではないし、学校卒業という事実をもって入学資格が認められるわけではないので、卒業者の不安定な地位に変わりはない。
ただ、外国人学校・民族学校にとって、最も重大な問題は、大学入学資格などではなく、私学助成ないし経済的な問題であると思われる。外国人学校・民族学校を選択しようにもできないという最大の理由は、授業料(寄付金・教材費を含む)が高かったり、人件費予算のなさから優秀な教師を集めにくかったり、通学するのに時間や金がかかるということであろうと思われる。こうしたことは、基本的に外国人学校・民族学校が日本社会において正当に位置づけられていないことからくる問題である。このことから学校法人に対する寄付金の控除差別(注一〇)や日本体育・学校健康センターの災害共済への加入差別(注一一)の問題などあらゆる問題が派生してくるのである。
また、多くの人が見落としている事実として、文科省の言う外国人学校は、必ずしも法律的な意味で外国人学校ではないという実態がある。既に東京中華学校では過半数が日本国籍の生徒であるし(血統的民族的に全くの日本人さえ通学している例もかなりある)、朝鮮学校においてもかなりの割合で日本国籍を保有する生徒が含まれている。いわゆる外国人学校は既に多国籍化しており、もはや専ら外国人を対象としているとは言い難いのが現状である。そうであれば、外国人学校・民族学校に対し私学助成が及んでいないという問題は、すぐれて日本人の教育問題であり、教育を受ける自由(教育機関選択の自由)との関わりという側面もあることを併せて指摘しておきたい。
注
一 本稿では、外国人学校を、専ら外国人を対象としつつ外国の学校教育システムに準拠したものを指し、民族学校は、対象者の国籍にかかわらず、民族的少数者の民族的文化・教養の継承を目的とするものであって、普通教育を中心に行うこととしているものを指す。
二 民族学校出身者の受験資格を求める全国連絡協議会(民全連)二〇〇〇年度調査よりhttp://www.k-jinken.ne.jp/minzokukyoiku/index.htm
三 施行規則六九条の規定は左のとおり
一 外国において、学校教育における十二年の課程を修了した者又はこれに準ずる者で文部科学大臣の指定したもの
二 文部科学大臣が高等学校の課程と同等の課程を有するものとして認定した在外教育施設の当該課程を修了した者
三 文部科学大臣の指定した者
四 大学入学資格検定規程 (昭和二十六年文部省令第十三号)により文部科学大臣の行う大学入学資格検定に合格した者
五 学校教育法第五十六条第二項 の規定により大学に入学した者であつて、当該者をその後に入学させる大学において、大学における教育を受けるにふさわしい学力があると認めたもの
六 その他大学において、相当の年齢に達し、高等学校を卒業した者と同等以上の学力があると認めた者
四 戦後雨後の筍のように作られた民族学校に対して閉鎖令を発し、戦車まで繰り出して実力で閉鎖させた一九四八年の民族教育大弾圧事件
五 このため、民族学校高等課程に在学する生徒であっても、大検の受検資格を得るために、別の高等学校の夜間課程などでダブルスクールしなければならないという余りにもひどい状況であった。
六 実際に「準ずる者」として指定されているのは、外国における大検相当の試験合格者とその学校教育システム上一二年未満の初中等教育しか行っていない国での高等課程卒業者(多くは中国帰国者)で一年程度の準備教育を受けた者である。
七 現在、実に七一九科の高等課程が指定を受けている。
八 三号の指定をする文部省告示の中にそのような実質的基準を盛り込めばよいだけである。そのためには施行規則の改正すら必要ない。
九 法律用語としては民族学校という用語はなく、外国人学校という用語があるのみである。
一〇 今年三月末の税制改正で、「初等教育又は中等教育を外国語により施すことを目的として設置された各種学校」につき、文部科学大臣が財務大臣と協議して定める基準に該当するものに対する寄付金が所得税法・法人税法上特定公益増進法人に対する寄付として所得控除を受けることとされたが、具体的に文科省告示で指定されたのは、欧米系のインターナショナルスクールのみであり(文部科学省告示第五九号)、この要件に該当する外国人学校・民族学校はなぜか全て除外されている。
一一 同センターは、学校災害に対して共済給付事業を行っているが(日本体育・学校健康センター法二〇条一項二号・同三項)、この事務費のほとんどは国が負担し、給付は、健康保険での自己負担分(医療費の三割)より多い医療費の四割を給付するもので、民間の保険に比べ著しく有利である。