大学入学資格に関する文部科学省案に対する声明
2003年8月18日
外国人学校・民族学校の問題を考える弁護士有志の会
              共同代表  弁護士  新美 隆
              共同代表  弁護士  丹羽 雅雄
1、文部科学省案の概要
本年8月6日に発表された文部科学省案は、下記の2本立てである。
A 外国人学校の取り扱い
 @欧米系の評価団体3つの評価を受けた外国人学校の卒業生に大学入学資格を付与
 A外国において当該外国の正規の課程(12年)と同等と位置付けられている外国人学校の卒業者に大学入学資格を付与
B 大学の個別審査により高校卒業と同等以上の学力があると認められる者に大学入学資格を付与

2、総評
  今回の文部科学省案は、日本における外国人学校・民族学校に在籍する生徒の過半数を占める朝鮮学校の卒業生について、同校の卒業を根拠とした大学入学資格を認めない点で、1965年の文部事務次官通達にあらわな朝鮮学校差別・排除政策の延長線上にあり、外国人学校・民族学校の中に新たな差別を敢えて作り出した点で極めて問題である。
  また、同案には、民族の言語による教育を日本の教育制度の中に積極的に位置付け権利として保障していく姿勢が見られず、国際法で明確に認められた定住外国人の子どもたちの民族教育を受ける権利を無視するものであり、外国人学校・民族学校に対する様々な差別を温存するものである。
  なお、一部の外国人学校・民族学校につき当該学校卒業を根拠とする大 学入学資格が認められ、文科省による大学への違法な締め付けが解除された点は、大学入学資格を従来より拡大したものであり、外国人学校・民族学校関係者らをはじめとする外国人学校・民族学校への差別に対する長年のねばり強い取り組みの成果とは言えるが、上記のとおり、文部科学省が民族教育を保障する姿勢へ転換したものと評価することはできない。 

3、 恣意的な「公的確認」
   文部科学省案は、A?で、外国の正規の高等課程と位置付けられているか否かにつき「公的確認」なる恣意的概念を持ち出し、12年の課程を有する民族学校の中では朝鮮学校についてのみ、確認の努力を予め放棄しておきながら公的に確認できないと結論づける一方、朝鮮民主主義人民共和国と同様に国交のない中華民国(台湾)については公的に確認できると結論づけており、その違いについて合理的説明はない。 

4、 個別審査の過重な負担
   文科省発表によれば、朝鮮学校の生徒・卒業生たちは、大学の個別審査を受けることになる。これまでも大学には学校教育法施行規則第69条6号により大学入学資格を認定する権限があり、事実公立・私立大学の過半数は朝鮮学校の生徒らにこの条項に基づき認定書を交付してきた。
  しかし、国立大学については文科省が執拗かつ違法な行政指導で介入を行い、認定を行わないよう圧力をかけてきた結果、国立大学については1校も認定がなされなかった経緯がある。今回の大学による個別審査への切替は、法的には当然に大学に認定権限がありそのように運営されて来たものを、文部科学省が追認せざるを得なくなったのに過ぎない。
  現行の大学受験制度においては、外国人学校・民族学校の生徒らの場合は、大学入試センターに申し込む時点で、大学入学資格を証明する文書が必要であり、大検か個別の大学発行の大学入学資格認定書がなければ、センター試験の受験すら認められないことになっている。日本の高校の卒業生であれば、センター試験の成績を見てからどこの大学を受験するか考えることができるが、外国人学校・民族学校の生徒らは、大検を事前にとっておくか、受験する可能性があるすべての大学から個別に認定書の交付を受けておかねばならない。
  今回の文部科学省案では、朝鮮学校の卒業生らは、滑り止めを含め各自が受験する可能性のある大学すべてに対して個別に入学資格認定申請を行わざるを得ず、他方、個別審査の結果入学資格が認められる保障はないのだから、万全を期するとなると、結局大検資格を取っておかなければならないことになってしまう。 
  朝鮮学校の生徒らは、精神的にも経済的にも時間的にも不当な負担を強いられ、不安定な状態におかれることとなり、学校卒業により入学資格を認められる他の外国人学校・民族学校の生徒たちがこれらの負担を免れたことと比べると、差別はかえって拡大したといえる。
  また、入学資格を認定する大学にとっても、個別の入学志望者について卒業した学校の教育内容等を判断しなければならないことになり、学校単位でその教育水準を国が認定する通常の方式に比べて、著しく負担が大きいといわざるを得ない。

5、 認定は専修学校方式で足りる
  これまで文部科学省は、外国人学校・民族学校につきなぜ大学入学資格が認められないかとの質問に対し、国会などで教育水準の担保がむずかしいからと回答してきた。
  この点、私たち有志の会は、去る6月5日に文部科学省に提出した質問書の中でも、教育水準担保の観点より、専修学校高等課程卒業者の大学入学資格認定において用いられている総授業時数などの要件を準用すれば足りると指摘してきた。 
  専修学校の高等課程については、政府は1985年、教育の多様化・活性化の観点から、学校教育法施行規則第69条3号「文部科学大臣の指定した者」として文部科学省告示47号に「専修学校の高等課程の修業年限3年以上の課程で文部科学大臣が別に指定したもの」を21号として追加した。その指定を受けられる要件として、同年9月19日の同省高等教育局長通知により、?修業年限が3年以上、?卒業に必要な総授業時数は2590単位時間以上、?卒業に必要な普通科目についての総授業時数は420単位時間以上であることなどをあげ、これらの要件を充たした専修学校高等課程については大臣が当該学校卒業生に一律に大学入学資格を認めているのである。 
  今回文科省が外国人学校・民族学校の取り扱いにおいて、あえてこの専修学校方式による認定を避けたことにつき、文科省から一切合理的説明はない。朝鮮学校は日本の高等学校によく類似しており、上記要件の全てを充たしているから、専修学校方式によれば当然に学校としての大学入学資格が認められるのであり、大学入学資格を認めるための学力水準を担保するにはそれで十分なはずである。この方式を採用していれば、上記のような朝鮮学校卒業生の余計な負担は回避できたのである。
  この方式による認定が可能・容易であることを知りながら、あえて採用を避けたということは、上記の「公的確認」なる恣意的概念と考え合わせると、やはり、朝鮮学校に大学入学資格を認めたくないとの結論が先にあったと言わざるを得ないのである。

6、 文部科学省の朝鮮学校排除思想が根本的な問題
 結局、文部科学省は40年近く前の1965年の文部事務次官通達の「朝鮮人として民族性または国民性を涵養することを目的とする朝鮮人学校は、わが国の社会にとって、各種学校の地位を与える積極的意義を有するものとは認められない」という、朝鮮学校の存在意義を否定し排除する思想にいまだ立脚しているといわざるを得ない。 
  文部科学省は1996年8月の時点でも「下関朝鮮初中級学校の指定寄付について」の見解の中で上記通達を引用し、「文部省として朝鮮人学校を積極的に認めているわけではない」と明言している。
  その後上記事務次官通達が2000年4月の地方分権一括法施行により法的には失効したとされているが、いまだ文科省は、同事務次官通達の思想自体を見直したと明言したことはない。

7、 民族教育を受ける権利の保障を
  日本に定住する子どもたちは、その国籍・民族を問わず、自民族の言語による教育を等しく受けることを、日本政府により権利として保障されなければならないはずである。このことは、日本国憲法第13条(幸福追求権)、26条(教育を受ける権利)、14条(平等権)、及び子どもの権利条約第28ないし30条(教育についての権利・教育の目的・少数民族などの権利)、自由権規約第26条(法の前の平等)、同27条(少数民族の権利)、社会権規約第13条(教育についての権利)、人種差別撤廃条約第2条(人種差別の撤廃)などにより明らかである。
  事実、国際人権に関する条約の履行監視機関である各委員会の度重なる勧告・懸念(1998年6月5日子どもの権利委員会及び2001年3月20日人種差別撤廃委員会のアイヌ及び在日コリアン等の生徒の高等教育へのアクセスにおける不平等の懸念、1998年11月5日自由権規約委員会の朝鮮学校未承認の懸念など)が出されている。さらに、2001年8月30日の国連社会権規約委員会の最終見解は、「委員会は、それが国の教育課程に従っている状況においては、締結国が少数者の学校、特に在日韓国・朝鮮の人々の民族学校を公式に認め、それにより、これらの学校が補助金その他の財政的援助を受けられるようにし、また、これらの学校の卒業資格を大学入学受験資格と認めることを勧告する」と明確に述べている。
  文部科学省案は、これらの国際人権諸条約及び国際機関による勧告などは全く顧慮しておらず、憲法第98条2項の条約遵守義務に違反している。1998年2月の日弁連勧告も、朝鮮学校をはじめとする民族教育につき重大な人権侵害があり、国際条約違反であることを指摘しているが、今回も文部科学省はこれらの勧告を無視したのである。
  日本に定住する子どもたちに、民族の言語による民族教育を権利として保障するとの観点からすれば、端的に日本の高等学校卒業と同程度の学力があるかを、総授業時数などで外形的に判断するのが合理的であり、文科省がこの認定をするに当たり特段の支障はないはずである。

8、 文部科学省への要望
  以上より、私たちは、文部科学省に対し、国際条約を誠実遵守しつつ憲法を尊重擁護し、日本に定住するすべての子どもたちに対し、国籍・民族を問わず、民族教育を権利として等しく保障すべきとの観点より、下記の4点を要請する。
 
@朝鮮高級学校の卒業生につき大学の個別審査でなく、学校卒業を根拠として大学入学資格を認めること
A外国人学校・民族学校に高等課程卒業を根拠として大学入学資格を認める基準として、上記の専修学校高等課程を指定する要件と同様の外形的・形式的要件を用い、かかる要件を充たす学校の卒業生全員に大学入学資格を認めること
B大学が外国人学校・民族学校の生徒・卒業生に対して個別審査を行うにあたり、大学入学資格認定を困難にする方向での不当な介入を行わないこと
C1965年文部事務次官通達にあるような朝鮮学校を排除する方針につき、従来の施策を改め、民族教育権を保障する姿勢を明らかにすること

9、 大学への要望
  現に来年度の大学受験を目前に控え、この大学入学資格の問題で苦しめられている生徒たちの救済の観点に立ち、国立大学をはじめとする全大学に対し、下記のことを要請する。
@現時点までに、各大学に対し大学入学資格認定書交付申請を行っている外国人学校・民族学校の生徒・卒業生については、大検受験の負担を除去するため、少なくとも来年度の大学入学試験に向けた最後の大検の申し込み期間の始まる前、すなわち9月12日(金)までに認定書を交付すること
A各大学における審査基準は、上記専修学校の高等教育課程の指定要件を念頭に、外形的・形式的に判断すべきこと
B上記審査基準により受験生に認定書を発行した場合、以後の入試要項等に認定済みの学校名を明記することにより、実質的に学校単位での入学資格の認定とすべきこと

10、 残された課題
 最後に、今回の文部科学省案によっては、外国人学校・民族学校の生徒・卒業生らのおかれている不安定・不平等な状態は、全く解決されていないことを指摘する。
  たとえば、大学と同様、外国人学校・民族学校の小学校・中学校・高等学校に相当する課程の卒業生らは、それぞれの卒業資格が公に認められていないため、当然には日本の上級学校に進学することができず、受入先の学校の個別の判断により認められたり、認められなかったりする不安定な状態におかれている。
この点文部科学省は、去る8月12日、高等看護専門学校などの専修学校専門課程(いわゆる専門学校)の入学資格についての改正案を発表したが、そこでも今回の大学入学資格案と同じ基準をもちだし、朝鮮学校の生徒らについては専門学校の個別審査に委ねるとしており、朝鮮学校排除を固定し、拡大するものと言わざるを得ない。
  また、在日外国人は、日本人と同等に課税されているにもかかわらず、外国人学校・民族学校については国庫からは補助金は一切出ず、地方自治体からの助成金の金額も日本の私立学校に比べれば数分の1程度しかなく、保護者らは経済的に不当に重い負担を負わされている。さらに、保護者らが学校に出す寄付金にまで差別があり、日本の学校への寄付の場合、損金・控除の対象とされているのに、外国人学校の場合にはそれも認められてこなかった。この点につき、去る3月31日、文部科学省は、欧米系の学校評価機関の認定を受けたものに限り、特定公益増進法人として日本の私立学校と同様に税制上優遇してする告示を出し、ここでも朝鮮学校をはじめとするアジア・南米系の外国人学校・民族学校を差別している。
  この点、大学入学資格問題について去る6月20日大阪・京都・兵庫3府県の知事が文科大臣に要望書を提出したのに続いて、8月8日には、京都市長が税制上の優遇措置や助成金に関し、外国人学校を学校教育法1条項に準じて処遇するよう要望している点を指摘しておきたい。
  その他、朝鮮大学校についても大学として位置付けが為されていないことから、司法試験・公認会計士など各種国家試験受験においても差別がある。
  これらは、これまでの政府の教育政策において、外国人学校・民族学校を一条校と同等の学校として位置付けず、むしろ排除してきたために生じた差別問題であり、今こそ政府―文部科学省は、民族教育を権利として保障する観点より抜本的に政策を改めるべきである。
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